今年は中日国交正常化45周年だ。45年前の今日、時の田中角栄首相は訪中日程を開始した。両国はその後、9月29日に「中日共同声明」に署名した。両国関係の正しい方向への改善と発展をいかに促すべきか、これは45周年を迎え熟考に値する話題となっている。(筆者・笪志剛 黒竜江省社会科学院北東アジア研究所所長、研究員)
45年前に中日の前世代の政治家は、国交正常化という歴史的な選択をした。中日は東アジア2大国の40年に及ぶ、全体的に互恵・協力構造を維持する新しいページをめくった。中日関係はまず、政府主導・民間追随、友好と協力を基調としたが、その後は協力と競争、共通認識と食い違いが錯綜する時期を迎えた。
その中で駆け引きが展開され、さらには対立することもあったが、全体的に見ると政治・経済・人文・観光協力には大きな見どころがあり、相互補完性と互恵関係が際立った発展段階となった。中日貿易額は10数億ドルから、ピーク時の2013年には3295億ドルに達した。訪日中国人客は2016年に延べ637万人に達した。これらの数値の変化は、両国の互恵・ウィンウィン関係の縮図だ。二国間協力のほかに、中日はアジア太平洋でASEAN「10プラス3」メカニズム、中日韓FTA交渉、RCEPなどの多国間枠組み内で、実務的かつ積極的な流れを示している。
45年に渡り中日関係が歩んだ道を振り返ると、友好と協力の裏で次のようなことが起きていることが分かる。米日同盟が日増しに強化され、「正常な国」や軍事大国になろうとする日本が「一つの山に虎は二頭棲めない」とうゼロサム的発想を抱き続けている。日本では政府も社会も、中国に対する深い不信感、さらにはけん制しようとする考えを持ち続けている。
明治維新時代の日本社会のエリートは、「工業の日本、農業の中国、海洋の中国、大陸の中国」といういわゆる中日分業を主張していたが、中国は2010年に、日本が42年間維持していた世界2位の経済国という地位を奪った。中日のパワーバランスの逆転、歴史・領土問題をめぐる駆け引きの表面的な激化、日本の東中国海における領海線の策定、台湾の地位の曖昧化、集団的自衛権の行使容認、改憲の議論などにおいて、中国と駆け引きを展開しようとする日本の姿勢が強まっている。両国関係は1980年代の蜜月期、90年代の矛盾、21世紀初頭の摩擦、現在の冷え込みへと悪化していった。国交正常化後の中日協力の主旋律は、不協和音が増している。