南京大虐殺の生存者、ボランティアで解説を続ける

南京大虐殺の生存者、ボランティアで解説を続ける。佘さんは十数年に渡り館内のボランティア解説員として働き、世界各地からの来館者に当時の中国侵略旧日本軍の暴行を伝えている。義憤に駆られると、旧日本軍の銃床で殴られた傷跡を見せることもある…

タグ:南京大虐殺 生存者 来館者 記念館

発信時間:2017-11-13 15:50:22 | チャイナネット | 編集者にメールを送る


 

 侵華旧日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館(南京大虐殺紀念館)には、南京大虐殺の生存者の一人である佘子清さんがいる。佘さんは十数年に渡り館内のボランティア解説員として働き、世界各地からの来館者に当時の中国侵略旧日本軍の暴行を伝えている。義憤に駆られると、旧日本軍の銃床で殴られた傷跡を見せることもある。

 

 旧日本軍は80年前に南京を攻略した。佘さんの母は旧日本軍に残酷にも殺害された。幼かった佘さんは兄と姉について米国大使館に駆け込み、生き残ることができた。佘さんは当時を振り返ると、悲しみを隠せなくなる。「当時、日本人は中年男性しか殺さないという噂があり、父が先に逃げた。母と多くの隣人の女性が家を守るため残った。まさか旧日本軍が眉一つ動かさず人を殺し、強姦と虐殺をほしいままにし、悪事の限りを尽くすとは思わなかった」

 

 抗日戦争勝利後、佘さんは新聞配達員になり、暮らしを支えた。1950年には兄が朝鮮戦争の戦場に向かった。佘さんは軍人の家族として、鉄道部門で勤務した。1958年には南京鉄道局の整備士に転属され、1994年に正式に退職した。

 

 南京大虐殺紀念館は2004年3月1日に、愛国主義教育基地として正式に無償開放された。佘さんと南京大虐殺の生存者3人は共にボランティア解説員になった。佘さんはこの仕事を14年間続け、4000時間以上も解説した。佘さんは館内で最年長のボランティアになった。

 

 ところが佘さんにとって辛いことに、生存者らが近年、次々とこの世を去っている(上述した生存者3人を含む)。しかし喜ばしいことに、記念館のボランティアチームには生存者の子孫も多い。彼らは先祖が虐殺で受けた苦しみを語り続け、歴史の記憶を引き続き継承し、平和の理念を伝えようとしている。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年11月13日

TwitterFacebookを加えれば、チャイナネットと交流することができます。
中国網アプリをダウンロード

日本人フルタイムスタッフ募集    中国人編集者募集
「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで