辻がまず問題にしたのは「多数の西洋人が日本料理を自分の生活方式とは合わないものと考えている」ということだった。辻は、米国の著名な美食家のM・F・K・フィッシャーに、自著「Japanese Cooking: A Simple Art」の紹介を書いてくれるよう頼んだ。フィッシャーと妹は1978年、辻調理学校を訪れ、「この東西が交わる現代の飲食の実験場で何が行われているのか」を視察した。フィッシャーは辻について、日本の若い調理師見習いに伝統的な調理法を教えるという面では天才であり、腕の高い料理人でもあると書いている。辻のもとで2週間過ごした後、半世紀にわたって世界の美食を食べ歩いて来たフィッシャーは「西洋料理に喜んで背を向け、一生日本料理を食べていくことができる」とその感動を記した。
「Japanese Cooking: A Simple Art」は詳しく書かれた料理本だが(220個のレシピが紹介されている)、日本の飲食文化に捧げられた賛歌でもある。辻によると、日本料理は耐乏生活から生まれた。当時、「困窮していたが教養のあった宮廷貴族らは各季節の『自然の恵み』を楽しむことを学んだ」。このため「食材そのままの新鮮さ」と「視覚的な美しさ」を重視する季節性は日本料理の核心的な原則の一つであり続けている。辻は読者に、日式料理を作るのは「ピアノを弾くようなもの」だと語る。規則に従い、正しい指使いを練習すれば、「自分の芸術的な性向に従ってテンポを変えながら、自分なりのショパンを演奏することができる」
「Japanese Cooking: A Simple Art」は主に2つの内容からなる。最初の部分では、日本料理の核心的な理念と基本的な調理方法を紹介。第二の部分では、各種のレシピを集めた。書中には16ページのカラーページも設けられている。
1980年代当時、米国では一部の食材が入手しにくかったことを考慮し、辻は、東洋の食材が買える全米の店舗も紹介している。ニューヨークからは37店が紹介されているが、サウスダコタ州には1店舗しかなかった。
辻は「日本料理は、香りや色、食感、季節性のハーモニーを大事にする」とし、書中には「食材」「道具」「魚の選び方・さばき方」「焼く」「蒸す」などの章を設けた。