客観的に言って、中国社会は総体として、集団として日本を敵(かたき)とする、日本の悪いことだけ言えて良いことは言えないという段階は超えている。日本社会の発達は中国のはるか上を行き、長所はいくらでもあるということは、多くの中国人が皆認めている。正しい叙述方式でその長所を語ることは、中国の世論の場では一般的に言って安全で、これもまた中国が急速に進歩し、人びとの自信が高まっていることの表れとも言えよう。
特定のコンテキストと環境の下では、日本にかかわる事で自嘲し、抗日劇のことを笑ってみせても、特に反対を受けることはない。
だがその一方で、日本社会の歴史に対する態度が不健康で、対中外交も非理性的な要素の影響を受けているという点に関しては、中国人の認識ははっきりしており、こうした認識は、日本国民がたびたび見せる立派な振る舞いとは区別される。
発達した社会の国民は一般的に振る舞いも洗練される。発達とこうした高い素養とは互いに因果関係にある。だが国際関係においては、発達した国がしばしば、衝突における間違った側だということがある。第二次大戦中の普通の日本国民にも素朴で誠実な面があったが、軍国主義に利用された。どちらが正しいかとか善悪の認識とかいうものは点で面を代替することはできないということだ。一つのできごとを「ネタ」にして何かを主張とする場合、十分に慎重にかかるべきだろう。
中国が大きくなるにつれ、中国と先進国との摩擦も増えている。米国は中国への圧力を強め、日本もその一翼を担う。中国はいかに日本に対峙(たいじ)するべきなのか。われわれの社会にはこの問題をめぐっていくつかの意見の違いがある。これらの意見の違いの大部分は正常で、必要なものだ。だがそれは時に、社会に存在する基本的な政治的立場の違いと複雑にからみ合い、何かしら違った様相を帯びてくる。
中国の外部に対する態度は総じて理性的で穏健なものだ。中国が対抗を求めないことは原則であると同時に、矛盾を解消する積極的な態度でもある。これによって中米関係は争いが長期にわたって崩れず、中日関係もしばらくの緊張の後には再び緩和する。中国社会は総体として米国や日本の進んだものを受け入れ学ぼうとする態度を取っている。この二つの国のうちでわれわれが学ぶべきものを嫌ったことはない。
日本代表チームと日本のサッカーファンが試合後に見せた良好な振る舞いはもともと、議論の余地のないものだった。しかしこの話題は、上述のような原因から、中国のインターネット上で急上昇の話題となった。これもまた中国の一つの段階なのかもしれない。われわれがさらに前に進めば、こうした論争の様子もまた変化してくるのかもしれない。ほかの人の正しい行いに対しては、その事そのものを論じて称賛し、それが何らかの別の思いを誘うものであったとしても、すぐにこだわって過度に敏感になることもなくなるのかもしれない。(文:単仁平・環球時報論説委員)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2018年7月7日