今年31歳の峰谷さんは、父親が日本人、母親が中国人で、佳木斯で11年間の幼少時代を過ごした。彼は、ハーフということで中国に特別な思いがあり、日本の大学を卒業後によく知っているこの土地に戻ってきたという。2011年、彼は北京語言大学で同時通訳を学んだ。
峰谷さんは社会人になっても母校の図書館のことをよく覚えている。彼は、「日本の大学の図書館はテストが近い時だけ混雑するが、北京語言大学の図書館は毎日朝から晩まで、試験前でない時も満席だった」と話す。中国人学生の「一生懸命」な姿に、彼は知らず知らずのうちに感化された。
現在、彼は日本に戻り、ある会社で調達を担当している。ビジネスが順風満帆な「勝ち組」と言われると、彼は笑いながら「留学中に中国で得た経験のおかげ」と答える。
中国で起業の夢を実現
韓国出身の金賢洙さんは今年6月に中国人民大学の博士号を取得し、在学中に起業の夢も叶えた。
金賢洙さんは、「中国で博士課程を学んでいるときに韓国の某スタートアップ企業に入り、中国での責任者になり、留学生活も充実した」と話す。金賢洙さんは高校卒業後に中国に渡り、十数年の高等教育を受け、中国の風土人情に触れて染まり、中国の歴史文化を理解し、目覚ましい進歩を体験した。これらの経験は彼が韓国企業の中国市場開拓において責任者を任されるもとになったといえる。
起業について、金賢洙さんは「辛いことも楽しいこともあった。起業は考えがあるだけでなく、資源を整理し、チームを作り、さらに忍耐力と気力もなければいけない」と話す。彼は起業をサポートしてくれた中国の機関に感謝しており、「海外で業務を展開したい企業にとって、これは雪中に炭を送るようなこと」と語った。