50年間も続く中国との縁 「中国とともに成長」

50年間も続く中国との縁 「中国とともに成長」。

タグ:中国との縁 水野忠邦 AGC G20

発信時間:2019-07-19 11:02:30 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

  昭和6年(1931年)、東京大学を卒業した水野勝邦氏は日本の外務省が派遣する留学生として初めて北京を訪れ、中国と切っても切れない縁を結んだ。水野勝邦氏は名家出身で、江戸幕府で「老中」(将軍に直属し、将軍の次に高い職務)だった水野忠邦氏の一族の元子爵。昭和14年から22年まで、貴族院議員を務めた。

 

 50年代、中華人民共和国の建国初期、水野勝邦氏は家族を連れて中国を訪れ、北京に根を下ろし、仕事と生活を10年以上した。60年代、あることが理由で日本に帰国することになったが、中国との縁を切ることができなかった。彼は大学の教授になり、社会問題と中国経済の講義と研究を行った。授業はいつも満席で、学生に熱心に講義し、学生も集中して聞いた。この分野で秀でた貢献をした水野勝邦氏は、日本政府から勲三等旭日中綬を授与された。

 

 半世紀が過ぎ、水野氏の中国との縁は家族の中で受け継がれている。2018年、彼の外孫の上田敏裕氏は、日本ガラス最大手のAGCグループの中国総代表を務めている。安倍氏の訪中に同行した日本企業経営幹部代表団のメンバーの1人で、人民大会堂で中国の李克強総理と接見したことがある。上田氏は記者に対し、「人民大会堂に入ったのは3回目で、過去2回は日本経済界訪中団の代表としてここで李克強総理と交流した。日中関係の温かさを実感し、現在は大きくまい進する時期を迎えた」と述べた。

 

 上田敏裕氏は以前、北京の祖父が生活していた場所に行き、当時の祖父の足跡を感じた。上田氏は記者に対し、「母親から、当時、祖父は多くの中国の友人と深い友情を築き、助けてもらったり面倒を見てもらったりしていたと聞いた」と話した。そのため、日本に帰国後も中国のことを良く言い、「中国人は本当に素晴らしい」と、水野氏は日本メディアの取材を受けた際に話した。彼は中国のことを思い続け、「中国人は素晴らしい、本当に素晴らしい」、「一度でいいから、中国の家の壁をまた触りたい」とよく言っていた。

 

 上田敏裕氏は中国総代表になり、中国で生活して3年近くになる。中国での生活と仕事について、彼は「中国の友人が上海におり、初めて来た時は色々と助けてもらった。その後にできた中国の友人も友好的で情熱的。中国人と日本人は同じで、人と人の感情関係を特に重視する。中国で文化の包容性を感じた。多くの中国の友人が日本のアニメ、タレント、グルメなどが好きで、日本を認め、好み、中国で生活する外国人にわが家に帰ったような親切感と安心感を与える」と話した。

 

 上田氏は多くの中国の実業家と接触したことがあり、彼らの若さ、活力、創造力に深い印象を覚えた。「中国の実業家は気迫があり、学習とイノベーションに長けている」と話す上田氏は、多くのエネルギーをもらったと感じている。人民大会堂で李克強総理と握手をして「特別な力を感じた」時と同じで、これも中国経済の急成長と関係していると話す。



1  2  >  


TwitterFacebookを加えれば、チャイナネットと交流することができます。
中国網アプリをダウンロード

日本人フルタイムスタッフ募集    中国人編集者募集
「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで