日本で暮らす中国人留学生2人が最近、国内のウェブサイトで8分余りの動画を投稿し、「ばくだん屋」のつけ麺を体験・紹介した。2人は動画の中で、日本人は原爆投下についてどれほど知っているかというネットユーザーからの質問に対して、日本人は真相をあまり理解しておらず、広島の人々は「自分が被害者だと思うだけで、なぜ投下されたかを知らない」と述べた。2人は広島の原爆について「なんか同情できない」と述べた。ある人がこの動画に日本語字幕をつけて日本と海外のSNSで投稿し、大きな物議を醸した。ある広島市議会議員は詳細を確認すると述べ、一部の日本のネットユーザーも憤りと抗議を表している。環球網が伝えた。
動画を見た人ならば、広島の原爆について触れてはいるが、2人の若者が料理を紹介することがテーマだと分かる。対話は生活感あふれる店で行われ、中国のネットユーザー向けに配信された。原爆という重苦しい話題について、彼らの表現は確かに軽く、慎重でない部分もある。しかし意図的もしくは悪意ある嘲笑ではなく、「図に乗っている」「傲慢」には当たらない。表現したかったのは主に2人の個人的な印象だ。広島の人々の立場になれば聞き捨てならないかもしれないが、立場を変えて考える、もしくは歴史を充分に正確に認識していれば、この動画を大げさに取り扱いネット上に投稿することはないはずだ。
口調や感覚はさておき、動画は意図してかせずしてか、日本全体が歴史を深く反省していないという問題を指摘した。今日の多くの日本人は歴史の真相を理解していない、もしくは誤解している。これは日本が隣国に与える普遍的な印象だ。この2人は広島の原爆について「同情できない」と言ったが、それは彼らに共感する能力が欠けているためだけではない。考えてみるといい。日本の政治家が第二次大戦の戦犯の位牌を度々参拝し、さらに当時の被侵略国の傷に絶えず塩を塗りながら、被害者から許しを得ることができるだろうか。なぜ「同情」されないのだろうか。日本はこの問題に深く感じ入り、実際の行動を示し自国のイメージを覆すべきだ。
広島市議会議員と一部の日本のネットユーザーがこれほど過敏に反応するのは、日本の第二次大戦に関する間違った認識を形成する教育のせいだ。政治家を含む日本人は、当時加害者だったことへの意識が依然として薄い。その一方で戦後日本は自国の侵略行為を意図的に修正・美化し、かつ自国のイメージを被害者にすることに熱心だ。日本は近年、教科書の中で絶えず自国の第二次大戦の罪を美化し、日本軍がアジアの隣国を侵略した際に慰安婦を強制徴用した歴史を薄れさせ、「南京大虐殺」にさらっと触れるだけに留めている。さらには長崎原爆資料館の「南京大虐殺」と表記した年表の修正を検討している。これは歴史認識問題をめぐり、日本とアジアの隣国の間に大きな溝が残されていることを浮き彫りにした。
原爆は広島と長崎の傷だが、日本ファシズムが当時中国を含むアジア太平洋諸国に残した傷は至る所にある。これは人々に戦争の恐ろしさ、平和の尊さを告げる。どの国であっても、すべての無辜の犠牲者は祈念と同情に値する。しかし悪事を働いた者は責任を取るべきだ。軍国主義が日本でいつまでたっても徹底的に清算・根絶されなければ、それは無辜の被害者に対する最大の裏切りと後ろめたさだ。このようなことが日本で起きたことは、日本が歴史から教訓を汲み取っておらず、被害者とその後の世代に胸のつかえを残しているとの印象を与える。
広島と長崎には反戦に身を投じる多くの民間団体があり、彼らはより尊重・支持されるべきだ。ところが日本政府は近年、侵略の歴史をさらに無視し、中国やアジアの人々にもたらした被害をぼかそうとしている。これは反戦に背く行為だ。日本人を含め、本当に正義感を持ち平和を愛する人ならば、義憤を抱く対象は不適切な発言をしたかもしれない2人の若者ではなく、日本の右翼でしかないはずだ。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2023年4月13日