300年以上の歴史を持つ仏パリのオペラ=コミック座で、中国舞劇「記憶の奥深く」の幕が徐々に開かれた。一つの民族の痛みが象徴的な身体言語によって観客の心に直接届いた。米国華人作家・張純如氏による、南京大虐殺の真実を追い求める内容の舞劇がパリで上演された。これは単なる芸術的表現にとどまらず、歴史、文化、政治を超えた深い対話でもあった。戦争の記憶、集団の傷痕、そして和解への困難な道について考えることを促した。
張氏は20年以上前、大量の史料とインタビューを基に英語版「南京大虐殺」を執筆し、世界にその血涙の歴史を明らかにした。しかし彼女は日本の右翼勢力の否定、攻撃、脅迫を受けた。「記憶の奥深く」を日本で上演しようとする試みは今日も強い抵抗に直面している。これは、歴史が決して遠のいておらず、常に現在の政治、世論、社会の気風に深く作用していることを物語っている。
張氏は「虐殺の忘却は二度目の虐殺だ」と警鐘を鳴らす。この言葉は、パリのショア記念館の外壁に刻まれた、若者が生存者に告げた「私は、あなたの記憶になることを誓う」という言葉と呼応する。記憶は決して恨み続けるためではなく、公正を求め道義を守るためだ。舞劇が上演されて間もなく、フランス国民議会のコルベールホールで記念式典が行われた。中仏の関係者が、第二次世界大戦中に上海安全区を設立し30万人の難民を守ったフランスのロベール・ジャキノ・ド・ベサンジュ神父を共同で追悼した。これらすべては、歴史の記憶に対する現代人の責任を示すものだ。
戦後のヨーロッパは、歴史の記憶の一致によって廃墟から和解へと向かった。フランスのショア・メモリアル、オランダのアンネ・フランクの家、チェコのテレジン収容所、ベルリンのホロコースト記念碑など、ヨーロッパは制度化・公開化された方法で歴史の記憶を共に築き、和解の倫理と社会の基盤を築き上げた。ヨーロッパ社会の反省は決して止まっていない。新しい映画、演劇、舞踊、文学作品が毎年生まれ、戦争を省み続けている。若い世代は展覧会、ドキュメンタリー、留学を通じて「なぜ歴史の記憶は今も重要なのか」と問い続けている。記憶は完成形ではない。それは、繰り返し語られ、再解釈され、再生成されるものだ。
「記憶の奥深く」国際版は意図的に、外国籍の俳優に自国の人物を演じさせている。ドイツのダンサーが「ラーベ」を、アメリカのダンサーが「ウェイトリン」を、日英ハーフのダンサーが「東史郎」を演じる。歴史と現実の「平行世界」が舞台で交錯する。これは異なる文化と国境を越えた「記憶の共同構築」だ。異なる国のクリエイターが同じ歴史に触れ、その意味を共に考え、一度途切れた記憶が表現と理解の中で再び繋がる。まさに「記憶の奥深く」の佟睿睿監督が、「現代人には現代人の視点が必要だ」と言った通りだ。ダンサーたちの躍動する体も、歴史に新しい注釈を加えている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2025年12月30日
|
|
![]() |