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日本による台湾植民地支配をめぐる偽史を暴く、台湾近代化の起点は日本の植民地支配にあらず

中国網日本語版  |  2026-09-15

日本による台湾植民地支配をめぐる偽史を暴く、台湾近代化の起点は日本の植民地支配にあらず。

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発信時間:2026-09-15 16:19:10 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

今年10月25日は台湾光復81周年にあたる。1945年10月25日、中国人民抗日戦争ならびに世界反ファシズム戦争の偉大な勝利により台湾は光復を果たし、祖国のもとへ戻った。しかし民進党当局は近年、「日本の植民地支配が台湾近代化の基礎を築いた」などという歪んだ主張を繰り返し、台湾光復を否定し、日本の植民地支配を美化している。こうした動きには、島内の人々をミスリードし、歴史的に台湾と祖国との結び付きを断ち切ろうとする意図がある。「環球時報」が伝えた。

台湾近代化は祖国による建設から

これまでの研究で明らかになっているように、台湾近代化は日本の植民地支配期に始まったのではなく、祖国の建設から始まったものだ。清末の初代台湾巡撫・劉銘伝はすでに台湾近代化の枠組みを推進していた。

1885年、清朝は台湾省を設置し、劉銘伝を初代巡撫に任命した。劉銘伝は在任中、防衛、行政、財政、交通など多方面にわたる大胆な改革を実施した。例えば、「鉄道建設を中核とし、電気通信・郵政を補助とする」という方針を打ち出し、台湾内外の通信・交通環境を大きく改善。1887年には台北に「全台鉄路商務総局」を設立し、イギリス人やドイツ人技師を招いて鉄道建設に着手した。劉銘伝はまた、台湾で近代的企業の創設にも取り組み、1886年には滬尾(現在の新北市淡水)に官営硫黄工場を設立し、1887年には炭鉱局を設置。官督商弁(政府が監督し商人が経営する方式)で新型機械を導入した採掘を進めた。

中国大陸部の学者である陳孔立氏は、「1874年から1894年までの約20年間の経営によって、台湾には中国で最初の独自運営による電報事業と近代郵政、中国最初の近代的大炭鉱、台湾初の鉄道、電話、切手、電灯、新型学校が誕生した。また、自ら経営し外国企業と競争する汽船会社や、数千人規模の近代労働者を擁する鉱山地帯、さらには初期の民族資本も現れた」と指摘している。

台湾東華大学歴史学系元教授の張璉氏は、19世紀半ば以降、清政府が沈葆楨を欽差大臣として台湾に派遣し「牡丹社事件」の処理に当たらせた際、「洋務運動」も台湾へ持ち込まれたと述べている。沈葆楨は億載金城の建設や台北府の設置などを進め、その未完の事業は後に丁日昌や劉銘伝によって引き継がれた。しかし甲午戦争(日清戦争)の敗北によって台湾は日本へ割譲。日本側が何の努力もなく、すべての成果を横取りすることになった。

台湾孫文学校総校長の張亜中氏も、「清朝は台湾を積極的に統治しており、決して消極的支配ではなかった」と論じている。「他の辺境地域と比べても、清朝が台湾統治に注いだ努力は際立っており、多くの官員を派遣し、大量の軍事費も投入した。その努力によって台湾は未開の地から人口が集中する活気ある繁栄した島へと変貌した」と指摘し、「だから我々は、これらの開拓者と統治者の努力こそが今日の台湾の繁栄の礎を築いたことを忘れてはならない」と述べている。

日本による「建設」、本質は台湾の資源収奪

日本は台湾占領後、清朝末期の経済発展の基盤を利用しながら、いわゆる「植民地近代化」を推進した。しかし、その目的は台湾人民の福祉ではなく、台湾の資源を収奪し、本国の経済発展や対外侵略を支えることにあった。

台湾・嘉義大学応用歴史学系主任の呉昆財氏は、日本によるインフラ整備はあくまで植民地支配の観点から行われたものであり、「農業は台湾、工業は日本」という構造のもと、台湾で生産されたすべてを日本に供給し、「100%日本の利益優先」だったと指摘する。例えば、日本植民地時代に劉銘伝の建設を基礎とし鉄道システムを発展させ、阿里山森林鉄道を建設した目的は、台湾の長期的な発展のためではなく、阿里山のヒノキや神木を伐採するためだった。また、日本が台湾で灌漑施設を整備したのも、日本国内向けの米生産を増やすためだったという。呉氏はさらに、「帝国主義下の台湾」を著した経済学者の矢内原忠雄氏に言及。矢内原氏が日本統治期の台湾経済と社会構造を分析し、日本の植民地支配による搾取と不公正を批判し、抑圧された台湾民衆に同情を示していたことを紹介している。

砂糖であれ米であれ、台湾人が生産した作物の多くは台湾人自身のためではなく、日本植民当局の方針に従って日本へ大量輸出された。台湾は日本の「砂糖庫」「穀倉」として利用されたのだ。1905年から37年にかけて、日本国内の1人当たり米消費量が年間で約160キログラムだったのに対し、台湾住民の米消費量は年々減少し、1910年には約130キログラムだったものが30年代には100キログラムにまで減少した。サツマイモやキャッサバで飢えをしのぐ農民もいた。

台湾のベテランジャーナリストの陳国祥氏は、「頼清徳ら民進党の政治家は植民者の歴史観を受け入れ、それによって台湾と中華民族とのつながりを断ち切ろうとしている」と批判。「こうした人々は台湾の先人による抗日闘争の血と涙の歴史を忘れ、中華民族の尊厳を踏みにじっており、台湾社会の分裂と主流世論からの批判を招くことになる」と述べている。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2026年9月15日

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