これが上巳節の「清め」であり、生命の源である水の中で一年の穢れと不祥を洗い清め、あわせて後継ぎの子を得て、一族の人数が増え、発展することを祈るのだ。
後に、上巳節や川に入って身を清める習慣は、北方では次第に消滅したが、南方では民間で、なお清明節に行われる春の野遊びの風習として残っている。とくに南方の少数民族は今でも、3月3日に「歌節」を挙行し、清明節にはブランコ遊びや凧揚げ、綱引き、弓矢の射的などの遊びを行っている。
興味深いことは、古人が卵と棗を生殖崇拝の物としていることだ。彼らは川に入って身を清めるとき、川の中に卵と赤い棗を流し、漂流してくる卵や棗をすくい取ることによって、子宝が授かる象徴としていた。
魏晋時代(220~420年)には、文人や詩人が漂流物を卵や棗から酒盃に変えた。これは、酒を入れた酒盃が流れついたところにいた人が、直ぐに詩を吟じ、対句を作る。そうしなければ、罰としてその酒を飲まなければならないというものだ。これは「曲水流觴」(日本では「曲水の宴」という)と呼ばれる雅な遊びで、かつては大いに流行した。晋代の大書家、王羲之の『蘭亭集序』の中に、こうした文人たちの遊びが記述されている。
この風習は日本にも伝わり、紙で作った人形を流すように変わり、後にはそれが泥や木で作られた人形になった。それが現在も広く行われている雛祭りである。
清明節には、柳の枝を髪に挿したり、柳で作った輪を頭に載せたりする風習もある。もし清明節に柳の枝を挿さないと、病気や貧困になり、早く老いると民間では信じられている。「清明節に柳を挿さなければ、紅顔変じて皓首(白髪頭)となる」といわれている。
墓参りから帰ってきたら、門の横木の上に柳の枝を挿し、子どもたちの頭の上に、柳で編んだ輪を載せてやらなければならない。柳で編んだ輪は、唐の時代、皇帝から大臣が賜った。
さらに、井戸端や馬車の上にも柳の枝を挿すこともある。このため、清明節は「挿柳節」とも呼ばれる。もともと、柳を挿したり、頭に載せたりするのは、これで毒虫を避け、百鬼を駆逐し、老化を防ぎ、世継ぎまで得られると民間では見なされているからだ。
人々がこれほどまでに柳を崇拝するのは、柳が春になるともっとも早く芽を吹くだけでなく、頑強な生命力と旺盛な生殖能力を持っているためだ。そこで柳の枝の力を借りて、幸福と安全、健康、一族の繁栄を祈念するのである。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2018年3月30日