極度の疲労から、張学長は胆嚢炎を患ってしまい、2月19日早朝、武漢で胆嚢を摘出する内視鏡手術を受けた。術後3日目にはまた仕事に戻ったという張学長は、「肝胆相照らす仲という言葉があるだろう?だから胆嚢を武漢に置いてきたんだよ」とユーモラスに語った。
張学長の息子も天津医療チームのメンバーとして武漢入りしており、父親が体調を崩したことを耳にし、見舞いに行こうとしたところ、張学長は、「来なくていい。自分の受け持ちの患者の治療をしっかりするように」と断ったという。
術後、張学長の両足には血栓症が生じ、医師から「少なくとも2週間は絶対安静にするように」と告げられた。それを聞いて焦った張学長は、医師の言うことをできるだけ聞いて、薬を多めにもらい、そして、最終的に1週間の入院で江夏中医方艙医院に戻ったのだという。
そして、今月16日午前、張学長は、82日間にわたり苦闘を繰り広げた武漢から高速鉄道で天津に戻った。
武漢を離れる際、張学長は、「武漢は英雄の都市。武漢の市民は多大な貢献をした。でも、もうしばらく我慢を続けなければならない。現在、武漢市は中国全土で一番安全な都市だ。私たちは武漢で、教え子もできたし、専門家による診療所も設置した。今後は2ヶ月に1回は武漢に来て、武漢と『親しく付き合う』」と語った。(編集KN)
「人民網日本語版」2020年4月17日