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50年前のチベットの民主改革
発信時間: 2009-03-10 | チャイナネット

チベットを発展・繁栄に向かわせる改革

民主改革は反動的で立ち遅れた封建農奴制を徹底的に覆し、100万にのぼる農奴を農奴主の束縛、抑圧から解放し、再び人間としての権利を獲得させて、チベットの広範な人民の人権状況を根本から改め、チベットの社会発展のためにも道を切り開いた。

1959年、中央は反乱平定の命令を下した後、チベット地方政府とその軍隊、法廷、監獄を直ちに解散した。1960年4月、自治区準備委員会の決議に基づき、チベットは調整済みの行政区画に従って、七つの地区、一つの市、72の県で人民政府を樹立した。これらの人民政権の責任者は、いずれもそれぞれの地方が人民代表会議で、選挙を通じて選出された者である。

1961年の夏から、全自治区は普通選挙を通じて各級人民代表大会と人民委員会を設立する準備活動を行い、同年7月、ドォルンデチェン(堆隆徳慶)県のギュロン(古栄)郷は率先して第一回人民代表大会を成功裏に開催し、最初の郷人民委員会を民主的に選出した。その後、各地は陸続と普通選挙を行って、末端の人民委員会を選出した。これを踏まえ、真剣に準備を整えてから、1963年3月、ロカ(山南)地区ネドン(乃東)県は第一回県人民代表大会を開き、チベット最初の民選の県人民委員会を選出した。1965年の7月から8月にかけて、全自治区の郷、県の選挙は基本的に完了し、ほとんどの県、郷は人民代表大会あるいは人民代表会議の開催を通じて郷長、県長を選出し、過去の貧しい農奴と奴隷が圧倒的優位を占める人民政権を樹立した。各地はまた自治区人民代表大会の代表を選出した。

人民が普遍的に普通選挙に参加し、民主的選挙によって県・郷政権を樹立したことは、解放された農奴が真に主人公となった重要な印であり、人民は普通選挙の中で選挙権と被選挙権を行使し、選出した代表を通じて自己の意思を表した。これは封建農奴主政権支配の下で政治的権利がまったくなかった悲惨な境地とは雲泥の差がある。人民政権の樹立は民主改革が政治面で収めた大きな成果であり、チベットに天地を覆すような変化が生じたことを集中的に表している。反乱平定・改革と普通選挙による政権樹立の活動は農奴と奴隷出身の幹部の成長を促し、多くの反乱平定と民主改革の積極分子は闘争の中で鍛えられ、農民と牧畜民の先導者、民主的政権樹立の中堅となった。1965年、全自治区のチベット族とその他の少数民族の幹部は1万6000人に達し、そのうち各級の指導的職務を担当するものは4000余人いた。特に喜ばしいのは、過去の社会のどん底にいた多くの女性が指導的中堅に成長してきたことである。その後自治区の指導的職務を担当したバサン(巴桑)氏はその中の優秀な代表である。

民主改革の最終目的は生産力を解放し、人民の生活を改善することにある。封建農奴主土地所有制の廃棄と農民土地所有制の実現は民主改革の核心である。土地改革が完成した後の1960年の春、チベットの解放された農奴は初めて自己の土地を持ち、また初めて主人公として自己の土地を耕作した。このような自主的な、自らの幸せな生活のために働くことは、昔日の農奴と奴隷にこの上なく大きな積極性を持たせ、全チベットで生産の高まりが盛り上がった。これも中国共産党チベット工作委員会、自治区準備委員会および所属機構の情熱的な支持と援助を得ており、これらの機関は幹部と工作グループを派遣して農村に深く入って行き、農民を指導して互助を組織し、家畜と農機具不足の困難を解決するとともに、貧しい農家に貸付を提供した。精を出しての耕作と行き届いた管理は、チベットに最初の歴史的な大豊作をもたらし、この年の穀物総収量は2億590余万㌔に達し、1959年に耕作した者が収穫することと「小作料引き下げ」を実行してからの4.5%増を踏まえて、さらに12.6%増加し、民主改革前の1958年より17.5%、3000余万㌔を増産して、民主改革の大きな効果を顕示した。この年の家畜飼育頭数も1959年比10%増の1055万頭に達した。

1961年から1965年にかけてチベットは中央の「安定的に発展する」という指示に導かれて前進を続け、広範な農民と牧畜民は互助組を中心とし、心を一つにして協力し、刻苦奮闘し、多方面から生産の条件を改善するように努めた。彼らは積極的に低収穫農地を改造し、水利を興してかんがい面積を拡大し、生産工具を購入、改良し、迷信を打破し、たい肥をつくり、肥料を施す量を増やし、虫害と獣害を消滅し、耕作方法を改善し、知恵と創造力を空前に発揮した。この期間に、国も解放された農奴に大きな支援を与え、種子、食糧、農業用物資を振り向け、農業技術者を派遣し、彼らを援助して生産の規模を拡大し、進んだ生産技術を推し広めた。数年の努力を経て、チベットの農業は比較的速い発展を遂げ、1965年には、食糧収量は2億9000万㌔に達し、1958年より66.1%増え、家畜も安定して発展した。農民と牧畜民は農業と牧畜業および多角的経営の発展を通じて、収入が比較的大幅に増加し、極端に貧しい状態はほぼ見られなくなった。

農業と牧畜業が大いに発展すると同時に、チベットの工業、交通・運輸、財政・経済・貿易および文化・教育事業も、国の支持の下で喜ばしい進歩を遂げた。民主改革後の数年間に、チベットは自動車道路の建設を速め、1965年の全自治区の自動車道路開通距離は1958年より1.6倍増えて1万4721㌔に達し、全自治区の90%の県に自動車道路が通じ、ラサを中心とする自動車道路網が基本的に形成され、祖国各地との交通が阻害されなくなり、チベットの工業・農業の一層の発展のために条件をつくりだした。

民主改革後、四、五年の安定した発展を経て、チベットの経済と社会・文化事業はいずれも大きな進歩を遂げ、末端政権の建設と幹部養成もチベットの一層の発展のために基礎を築き、チベットで民族区域自治を実施する条件が成熟した。1965年、チベット自治区準備委員会は国務院に報告し、全国人民代表大会常務委員会の認可を得てから、1965年9月1日にチベット自治区第一回人民代表大会を開き、チベット自治区を正式に発足させた。解放された農奴と奴隷の代表を主とし、各階層の愛国人士の代表が参加した代表大会は、憲法の規定に基づいて民族区域自治の職権を行使し、自治区の指導機関を選出し、チベットが社会主義の繁栄と隆盛の道を進む青写真を作成した。チベット自治区の成立は民主改革の勝利の成果である。

「チャイナネット」2009年3月10日

 

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