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五輪で北京を愛した彼――ひとりの通訳・翻訳者
発信時間: 2008-09-24 | チャイナネット

▽五輪が彼を中国との縁結びに

コロン氏は「北京五輪組織委員会のために仕事をすることは、彼がこれまで培ってきた五輪との関係を維持するのみならず、中国に直接触れることの出来る絶好のチャンスとなった」と語る。コロン氏が中国を訪れるのは今回が初めてだ。氏の語り口を聞くうちに、コロン氏の心の内の北京に対する熱い情熱が感じられた。氏はいつもこう語っていた。「もう少し早く中国に来ていればよかった。より多くの時間を北京の人達と同じように生活できたし、仕事もよりはかどったに違いない」。コロン氏は率直にこう語る。「中国の人達は自分たちが欧米人達よりも劣ると感じているようだが、わたしはこのように述べさせていただきたい。皆さんは欧米人をうらやむ必要は何もない。皆さんの住んでいる街は欧米の国々の街とまるで変わらないのです・・・・」。もっとも、発展を遂げた北京の街並みがこのフランス人通訳・翻訳者に衝撃を与えたが、さらに驚くべきだったのは、北京の人々であったという。

コロン氏は大変なスポーツフリークだ。自転車・ウェイトリフティング・体操・スキーなど、実にさまざまなスポーツにこれまでチャレンジしてきた。北京での僅か6カ月間という短い滞在生活の中で、彼は自らの足で、大通りから人知れぬ路地に至るまで、北京市内のありとあらゆる場所を散策した。北京の地図を示せば、彼はいつどこへ行ったかをすぐにでも想い出すことができる。「私は毎朝6時ちょうどに北京と共に目覚め、時間があれば歩いてどこにでも出かけて、無事に帰ってきました。これほどの自由は、一部の欧米国家では簡単に望めない場合もあるのです」。彼は油条(ヨウティアオ・朝食に食べる揚げパン)と豆乳の香り漂う北京の胡同(フートン・細い路地)を散策中、どこからともなく聞こえてくる北京の人達の明るい笑い声を耳にし、そして行き交う人達から「ニーハオ」と声を掛けられ、あるいは人々は輝くような笑みを見せてくれたという。コロン氏は語る。笑顔こそひととお付き合いする上での最上の方法であり、北京の人達はみな彼に対して笑顔を見せてくれたという。

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