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五輪で北京を愛した彼――ひとりの通訳・翻訳者
発信時間: 2008-09-24 | チャイナネット

▽彼に深い印象を与えた中国人の情熱

もし笑顔がコロン氏と北京の距離を縮めたとしたのなら、中国人の情熱と友情は、彼の中国に対する理解をさらに深いものとしたに違いない。7月のある日のこと、コロン氏は西直門のバス停で、北京外国語大学の事務所に行くためにバスを待っていた。しかし突然の大雨で、彼はびしょぬれになった。ちょうどその時、ひとりの若者が氏のために1本の雨傘を差しだし、身振り手振りの末、コロン氏はこの遠方からはるばる北京にやってきたという青年が、北京五輪の観戦のために北京を訪れていることを知った。2人は同じバスに乗り、氏がバスを降りようとした時、若者も突然氏と共にバスから降り、コロン氏を北京外国語大学の正門まで送ってくれたというのだ。この見知らぬ中国青年の行動に、これまで無数の経験を経てきたコロン氏もさすがに心を打たれたという。コロン氏は語る。「あの時の心境は、とても言葉に表すことはできません。ただ言えることは、このような経験は欧米の街では考えられないことでした」。

北京で過ごした日々の中で、ひとつひとつの日常生活の些細なことが、コロン氏の心の内に刻まれている。ほんの数日前、氏は地下鉄巴溝駅の近辺を散策中、ひとりの16~17歳ぐらいと思われる女の子が、乗っていた自転車が故障して困っているのを見つけた。自転車が好きなコロン氏にとってみれば、修理もお手の物だった。氏は自ら彼女の自転車の修理を手伝った。女の子が立ち去ろうとした時、彼女はポケットから1枚のティッシュを出してコロン氏に差し出し、汚れた手を拭くように勧めたという。このような実にたわいもない出来事が、コロン氏の心の内を充分に暖かくした。氏は語る。これこそ中国の人々の文明の象徴であり、「私は女の子にお礼など何も期待していませんでした。ただ、あの時の1枚の清潔なティッシュが人類の純潔な心を表しているのです。これは私に100万ドルを授けてくださっても、かなわないほど貴重なお礼でした」。

北京五輪が終わり、コロン氏の中国での仕事もまもなく終幕を迎える。EU・米国・IOC、さらに数え切れないほどの多くの国際経験を重ねてきたコロン氏だが、氏はもしできることなら、中国で広報関連、あるいはコンサルティング関連の仕事に就いてみたいと語る。彼は中国を訪れて初めて、西側世界に中国に対する偏見が満ちていることを知り、彼はこれを非常に憂慮しているというのだ。コロン氏は自身の責任として、西側の人々の中国に対する偏見を変えてゆきたいと感じているという。

「人民網日本語版」 2008年09月23日

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