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チベット学研究者・文泉に聞く
発信時間: 2009-03-13 | チャイナネット

文泉(チベット語名:ウドォオ・ゲラチャンチョ)、チベット族、四川省アバイ(阿壩)出身のチベット学研究者。現在、外交学院国際交流センター主任。国際交流、外交上のエチケットに関する教育及び国際交流センター管理などに従事している。2003年、国家機関優秀青年称号を授与。中国チベット学研究者代表団一員として何度となく欧州を訪問。先ごろ、「チャイナネット」記者の単独インタビューに応じてくれた。チベット学研究者の成長と経歴、思考を通してチベットへの理解と認識を深めることができた。

 

北京「王府」で高校生活

少年時代、文泉は選抜試験に合格して、故郷の四川省アバ・チベット族自治州(現在のアバ・チベット族チャン族自治州)紅原県から北京に来て高校に入学した。故郷はかつて紅軍が長征で通ったことのある草原で、紅原県の名はそれに由来し、周恩来総理が命名した。牧畜業の県である。

文泉が学んだ学校は中央民族学院付属中学。西単小石虎胡同33号にあり、清王朝の王府だったところだ。生徒は雲南省や広西チワン族自治区、四川省、寧夏回族自治区、チベット自治区など、40を超える少数民族がここで同級生として一緒に勉強し、一緒に生活し、民族による隔てはなかった。この学校はすでに100年近い歴史がある。前身は清代末期に創立された国立蒙藏学校で、蒙古族とチベット族の貴族の子弟を育成する学校だった。解放後、民族中学に改名。卒業後、中央民族大学歴史学部で学ぶ。大学卒業後はずっと外交学院で仕事をしている。

北京に来て以降、平原地帯の酸素に富んだ自然条件に適応するのが大変だったが、生活面でも克服しなければならない困難は多かった。例えば、牧畜地区出身の文泉にとって、ヨーグルトは欠かせない食べ物。とはいえ、80年代初めの北京にはまだヨーグルトはなかった。

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