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チベット学研究者・文泉に聞く
発信時間: 2009-03-13 | チャイナネット

チベット族として羨望

北京に来て、周囲の多くの漢族やその他の民族の人たちに対しても、文泉は自分が特殊だとも、劣等感も、さらには差別されているなどとは感じなかったが、周囲の心のこもった関心や心遣いを肌で感じるようになったのは確かだ。例えば、小学校から大学までのすべての費用は免除され、成績が良ければ、年末には学校から奨学金も渡される。仕事に参加してから牧畜民族に与える「肉食手当」は今でも受けている。これは当時の収入でかなりの比重を占めていた。

五人兄弟

近年、チベット文化が流行りだし、全国的にチベット文化を一種の流行のように見る傾向がある。彼がチベット族だと知ると、多くの人が親近感を表し、羨望するという。彼らはチベットの自然や景色は美しく、とくに牧畜地帯の環境は非常に澄んでいて、そこの人もきっと純朴で誠実、善良、ロマン的だと思っている。もちろん、文泉も確かに非常にロマン的な気持ちにあふれた人だ。

 

宗教は庶民の心の支え

チベット地区の自然環境は非常に厳しいため、強靭な心の支えがあってこそそこで暮らしていける。だからこそ、彼らは宗教を心の支えにしているのだ。庶民の宗教に対する敬虔さは表面的なものにとどまらない。それは心底から発せられたものであり、宗教は早くから彼らの生活に完全に融け込んでいた。額を地につけて礼拝しながら故郷からラサの寺院へと向かい、経典を回しながら八角街をめぐる人たちに深い感銘を受けることだろう。彼らの宗教心を超越することはできず、それは利他的なものだ。他を利することで世界、人類の平和に貢献できると考えている。信徒は寺院の上師(活き仏)を自分の生活の導師として仰いでいる。

庶民が積極的に子どもを寺院に送っているが、それは自分の家に仏教のために貢献できるものがいてほしいと願い、それを一種の光栄だと見ているからであり、理想の実現と同時に、自分の家で仏事を行う場合に便宜を図れるからだ。寺院の僧侶になることも、農牧畜業以外に従事する生活方式、職業の選択である。

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