先月撮影、津波で廃墟になった町から拾った写真を洗うボランティア。
3月11日の津波は日本の東北にある海辺の町、陸前高田市をあっという間に壊滅させた。津波は数千件の家を潰し、死亡、行方不明者は2000人。津波は地域全体を呑み込み、同時に写真、アルバムにつまった記憶も連れ去った。
震災発生から数週間がたち、行方不明者の捜索と平行して、廃墟で水浸しになり散乱していた家々のアルバムや泥だらけの写真も集められてきた。ボランティア団体は数十万の写真をきれいに洗い、整理するという大変な作業を始めた。
震災から2ヶ月が過ぎ、陸前高田市のボランティアは始めて収集された写真の展示を行った。写真に写っている本人に過去と関係を取り戻してもらうチャンスを提供しようというのだ。
日本防災科学技術研究所 (National Research Institute for Earth Science and Disaster Prevention)のボランティアである萩原達也さんは、写真の主人公は全てを失ったと思っているが、一枚の古い写真をふたたび目にした時にきっと前に進める力になれると思うといっていた。この蚤の市のような場所は、ある駐車場の二階でボランティア団体がアルバム、年鑑、卒業証書などの記念品を並べているところだ。
人々は集まっては、亡くなった人や行方不明の肉親や友達の写真を探していた。人々の中から大きな声が聞こえた。「これ、私!」菅野悦子さんは大きな声で叫んだ。一葉の写真を指差す。写真には花嫁衣裳を着てにっこり笑った若い花嫁が。菅野さんは現在51歳、すでに「おばあさん」になっている。彼女は1歳の孫と一緒にこの駐車場に来ていた。写真は26年前に大船渡市のある写真館で撮ったものだという。思い出しながら、カメラマンは合図をせずにこの写真を撮ったのだという。しっかりと写真を握り締めながら、私が一番幸せだった時だったわ、でもこの写真には私しか写っていないから、夫の写っている写真が欲しいわねと話した。この写真を撮って数日後に彼女と結婚したその人は、今回の津波で亡くなった。
ボランティアが数週間前に写真を整理し始めた時、まず、塩水でぬれたスナップ写真から手をつけた。写真を平らに伸ばし、陰干しし、刷毛で写真についた泥を除いていく。ぬれた布でビニルで出来たアルバムを拭く。一つ一つの作業はかなりの時間がかかり、思い通りに行かない。
先週展示した写真で回収されたのは10%前後。塩水につかり、泥がついたままのものもある。人々は自分の写真を見つけると一覧表に印をつけ持ち帰る。
日本防災科学技術研究所はこの活動を支援するするボランティア団体の一つで、記念撮影写真をスキャナーにかけ、ネット上で公開する予定にしている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年5月14日