正月休みが終わった。東北の実家に戻っていた人もみんな、勤め先のある都市へと帰って行った。東日本大震災後に初めて迎える新年。実家に帰る人たちはいつもと違う感じを抱いているようだった。
現在東京の大学に通う山田修平さんは実家が福島市内にある。山田さんは、「大地震や原発事故が発生して、今年はお正月に帰れないと思っていました。でも、家に帰れたし、家族と一緒に過ごせたから嬉しい」と話した。
幸いにも、山田さんの両親と姉は無事で、家も壊れることがなかった。しかし、福島県南相馬市に住んでいた祖父母は一時的に家を離れて避難せざるを得ず、母親も放射能の影響を日々心配するなど、一家は放射能事故の影響からまだ完全には脱却できていない。しかし、山田さんは、「災害があったことで、今の生活と家族の大切さが分かるようになりました」と話した。
山梨県忍野村に住む59歳の男性はお正月に、宮城県仙台市の実家に帰った。この男性は2年間家に帰っていなかったという。男性は、「ニュースで、子供のころによく釣りに行った海岸が津波でぐちゃぐちゃになったのを見て、涙が出ました。今回は、姉たちに会うのと、両親の墓参りをするために来ました。これからはよく家に帰るようにします」と話した。
現在、神奈川県相模原市に住む坪里恵さんは2才の娘を連れて、仙台市に住む旦那さんのもとを訪れた。旦那さんは犬のトレーナーで、震災後の救援活動のために仙台に残っている。坪さんは宮城県多賀城市内の精密機器工場で働いていたが、津波で工場が流されたため、昨年7月に神奈川県に異動になった。そのため、夫婦は別れて暮らさなければならなくなった。坪さんは、「生活は苦しいが、家族が全員無事でよかった」と話した。娘さんの笑顔が坪さんの心を癒す最良の薬だ。
天災は無情だが、人間には情がある。日本人は大地震を経て、家族の大切さがもっと分かるようになった。いつもとは違う2012年の新年だった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年1月7日