◆父は「生きた雷峰」
張涼さんは、「雷小峰シリーズは、私情を捨て国家に貢献した父の世代に敬意を表することを目的とし、制作しました。雷峰を利用してお金を稼ぎたかったわけではありません」と語った。彼女にとって、父親は「生きた雷峰」であるという。父親の張雄さんは15歳の時に知識青年として武穴市に下放され、現地で労働に従事した。張雄さんは川で溺れた子供を見つけると、ためらうことなく川に飛び込み、その命を救った。「『雷峰と別れた日々』という映画を見て、父こそが私のそばにいる雷峰だと感じました」
家庭からの影響を受け、張涼さんは幼い頃より、雷峰に親しみを持っていた。しかし時の流れと共に、雷峰のイメージは90年代生まれの若者の間で薄れていき、遠い存在となった。そこで張涼さんは現代的な「雷峰おじさん」をデザインしようと思い立ち、「雷小峰」やその他の家族が誕生することとなった。
華中師範大学教育学院の厳正教授は、「これらのおもちゃのデザインは、現代の特徴や青少年の心理的特徴に合致しており、若者に受け入れられている。これにより、若者が自ら雷峰精神を学ぼうと思うようになった。これは雷峰精神がもつ厳粛さを損ねるものではなく、むしろ雷峰のイメージに親しみやすさを持たせた」と指摘した。
「人民網日本語版」2012年3月5日