20歳を少し超えた茶野美和子さんは、近所に住むお姉さんや男友達の影響を受け、仕事を辞めて日本語教師になることを志した。教師養成トレーニングを受け、JICA(日本国際協力機構)青年海外協力隊のボランティア隊員に志願、2011年に日本語教師として浙江紡織服装職業技術学院易斯戴学院に赴任した。
当時は中国と日本の関係がぎくしゃくした時期だった。中日関係があまり良くないというメディア報道について、茶野さんは、自分が担当した学生にまつわるエピソードを交えてこう話した。
「私の誕生日に、これまで一切話しかけてきたことがなかった女子学生が、手編みのマフラーをプレゼントしてくれました。その女子学生は、『中国国内の報道を小さい頃から見聞きしてきたため、日本に対してとても複雑な思いを抱いている』と打ち明けてくれました。しかし、私が担任になってから、実際の日本人は、自分が想像していた日本人のイメージとは違うことに気がついたそうです。彼女は小さい頃からの先入観を捨て、私の指導の下で真剣に学ぼうと決心してくれました。それを聞いた私の喜びは、とうてい言葉では言い表せません」
「私を取り巻く中国人は皆、私にとても親切で、良くしてくれました。学校がかなり辺鄙な場所にあったため、断水や停電がたびたび発生します。学校の同僚や学生はそのたびに、『今日は水と電気が止まるけど、何か困ることはありませんか?傍にいて何か手伝いましょうか?』と尋ねてくれました。私が孤独や寂しさに襲われた時には、年上の同僚がきまって自宅に招いてくれ、春節(旧正月)も一緒に過ごしてくれました」
「でも、良い思い出ばかりでもありません。ある時、街に出たとき、私が日本人だと分かると、見知らぬ他人がいきなり日本の悪口を言い始めました。その時には大変腹が立ちましたが、後になってよく考えてみると、相手が私のことを良く知らなかったことが原因だと理解できました。そして、日本からの使者としてここにいる私は、国際的な中国人を養成することが私に課せられた務めであり、こんなことで落胆していてはいけないと自分自身を戒めました。個人同士の付き合いは、国家同士の付き合いよりもさらに複雑で直接的な性質を帯びています」