1980年代生まれのJICA日本語教師、茶野美和子さん

1980年代生まれのJICA日本語教師、茶野美和子さん。 20歳を少し超えた茶野美和子さんは、近所に住むお姉さんや男友達の影響を受け、仕事を辞めて日本語教師になることを志した…

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発信時間: 2012-05-23 13:42:37 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

茶野さんはいま、日本語を教えるという任務に全身全霊を傾けて取り組む毎日を送っている。授業の準備を念入りに行う一方、学生の学習に適した日本語教材を研究し、学生からの意見を聴き、各種イベントを企画し、学生が日本文化をより良く理解できるよう努力を惜しまない。彼女は、「学習のための時間があまりにも少なすぎます。学生たちがもう少し努力してくれれば良いのですが」と苦笑しながら話した。

JICA北京事務所の魚屋将・副所長は「青年海外協力隊事業は1965年にスタートした。発展途上国各国の要求に応じ、関連技術を備え心身ともに健康な日本の優秀な若者を派遣し、現地住民との共同生活や共同作業を通じて現地の社会発展や経済成長の支援を行ってきた」と述べた。1986年には、中国にもボランティア隊員の派遣が始まり、今年5月までに計784人の隊員が中国に赴いたという。このうち日本語教師が約半数を占め、派遣エリアは、広東省と西蔵(チベット)自治区を除くほぼ中国全域をカバーしている。

魚屋副所長によると、多くの協力隊員は、帰国後も中国関連の仕事に就いているという。例えば、S隊員は、岩塩など内蒙古自治区の特産品を扱う会社を帰国後立ち上げ、利益の一部をオルドス砂漠緑化造林事業に充てている。隊員のボランティア業務は、中日双方の相互理解促進にも一役買っている。例えば、昨年の東日本大震災の時には、31人のボランティアが所属する組織から、被災地に向け応援のメッセージが届けられた。

茶野さんは「私の中国での仕事は、あと5カ月で終わります。今後も一生懸命仕事に励み、それにより、周囲の中国人が持つ日本人の印象を変えることができればと思っています」と話した。彼女は最後に、流暢な中国語で、「中国人の皆さんにとても感謝しています。これからも中国に対する理解をいっそう深め、私たちの努力によって、中日関係が永遠に長く続くよう願っています」と締めくくった。

「人民網日本語版」2012年5月23日

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