ところがその2カ月後に開催された北京五輪で中国の自信は無残にも打ち砕かれることになる。中国の女子サッカーチームはホームでの戦いだったにもかかわらず、0‐2で日本に完敗、ベスト4入りを逃したのだ。その試合で、最初のシュートを決めた沢穂希選手は4年後の今、世界で知られる選手へと成長している。
08年より前、サッカー日本女子代表は輝かしい成績こそなかったものの、実力を着実に付けていた。1999年のワールドカップでは勝ち点1ポイントしか取れず、07年のワールドカップでも4ポイントで予選敗退した。そして00年のシドニー五輪でも予選敗退し、「なでしこジャパン」の名前を採用するようになった04年のアテネ五輪では予選突破したもののベスト8止まりだった。
しかし08年以降、なでしこジャパンは一気に頭角を表すようになる。北京五輪でベスト4入りを果たした3年後の女子ワールドカップを見事制したのだ。一方の中国は五輪のアジア予選で敗退。96年のアトランタ五輪以降、初めて五輪出場を逃した。今のなでしこジャパンを見ていると、「鋼鉄のバラ」と呼ばれ、光輝いていたかつての中国チームの姿が重なり、余計に物悲しくなる。