作者:スティーヴン・ウォルト氏。現在、ハーバード大学ケネディ行政大学院教授。
新中国成立60周年の閲兵式が行われ、英誌『エコノミスト』は「中国は大国となったが、自身の利益を考えるばかりでやり方のスタイルは大国らしくない」という文章を掲載した。米ハーバード大学のステファン・ウォルター教授はこの見方に反対し、米誌『フォーリン・ポリシー』の中で、『エコノミスト』の文章は適切でないものだとし、中国には一部の保守者が望むイベントを行わなかっただけだと指摘した。以下はその内容である。
『エコノミスト』の分析は鋭く、端的に要点を捉え、適度に保守的でもある。書き方には知恵と感情がこめられ、『タイム』や『ニューズウィーク』の多くの内容はこれに大きく劣る。「なにごとにも完全なものはない」と言うように、『エコノミスト』が新中国成立60周年のイベントについて発表した文章は適切でないもので、文章全体で「中国のイベントはいつも大国らしくない」ということを述べている。
しかし、この文章をじっくり読んでみると、中国は実際に大国のやり方でことを進めていたが、一部の政策が『エコノミスト』の編集者の好みに合わないだけであることがわかる。彼らは、中国は現状維持の大国ではないと言う。この判断は間違っていない。多くの大国が多くの時期において同様である。歴史上においては、欧州の大国間の競争は多かれ少なかれ、延々と続き、たびたび長期にわたる血なまぐさい戦争も起こった。冷戦時期には、米国はソ連を制止し打ちのめすことを考えていた(モスクワも米国に対し同様のことを望んでいた)。双方とも核戦争を望んでいなかったが、現状維持にも関心を示さなかった。ソ連崩壊後、当時のジョージ・H・W・ブッシュ米大統領は「米国は自ら権力の頂点に立ち、世界を再興するよいチャンスを与えられた」と述べている。これは現状維持の見方ではない。『エコノミスト』の編集者たちは、ジョージ・H・W・ブッシュ米元大統領の息子が中東地域の戦争を推し進めたことを忘れていて、「改造」を行うことは良い考えとでも言うのだろうか。これらのことを見ると、中国の「修正主義」は穏和に思える。
|