日本に落とされた2つの原爆 当時の首相の発言文の翻訳ミスが原因か?

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発信時間: 2010-05-24 14:21:05 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

トルーマン米国大統領(当時)は当時を振り返りこう語っている:「原子爆弾の投下準備の命令を下した後、陸軍長官に次のように指示を出しました。日本が最後通牒を受け入れるという通知がない限り、原爆投下の命令は無効にはしないこと、と」

そうすると、日本が「ポツダム宣言」を拒絶していなければ、米国は日本に原爆を投下することは無かったのである。戦後の文献および昭和天皇や鈴木首相の語録によると、日本は「ポツダム宣言」を「拒絶」したのではなく、回答を先延ばしにし、ソ連からの返答を待っていたところであったのである。

以下は、鈴木首相が戦後に記した自叙伝から抜粋し要約したものである:「ポツダム宣言」は日本が降伏する最後のチャンスだった。だが、「一億総玉砕(日本人全員が滅びるまで戦う)」を掲げる軍がこの宣言の受諾に反対であったため、すぐさま回答することをしなかった。…それから、国内の世論と軍内の強硬派は、士気を上げて徹底抗戦を構えるべきとの意見が主体であった。…このため、7月28日の内閣記者団との会見において、「この宣言は重視する要なきものと思う」との意味を答弁するほかなかったのである。私はこの事について後々にいたるまで、まことに遺憾と思っている。

鈴木首相を「その一言が国策を誤らせた。ポツダム宣言への回答をとりあえず先延ばしにするという態度を明確に示さなかった」と評する人もいる。また、「鈴木首相は当時、ポツダム宣言をはっきりと拒絶していたのに、原爆の投下という被害に遭ってから、逆のことを言うようになった」「翻訳者のミスが、日本に原爆投下という悲劇をもたらした」という意見もある。

このことをはっきりさせるために、筆者は鈴木首相の「ポツダム宣言」への回答を表す日本語の原文を探し当てた。昭和20年(1945年)7月29日付の毎日新聞に記載である:「三国共同声明は、カイロ会談の焼き直しと思う。政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺し、断固戦争完遂にまい進する」

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