戦後日本における米軍向け慰安婦の悲惨な生活(1)

戦後日本における米軍向け慰安婦の悲惨な生活(1)。 「新日本女性求む——外国人クラブ女性事務員、宿舎、衣服、食料すべて支給。高収入、年齢18歳以上25歳まで」。1945年9月20日、こうした文言が並ぶ広告が日本の大手新聞各紙に掲載された。一見普通の求人広告と変わらず、何の問題もないように思えるが、この広告を出したのは、日本政府や警視庁が設立に関わった特殊慰安施設協会(RAA)であった…

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発信時間: 2010-07-26 17:11:51 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

「新日本女性求む——外国人クラブ女性事務員、宿舎、衣服、食料すべて支給。高収入、年齢18歳以上25歳まで」。1945年9月20日、こうした文言が並ぶ広告が日本の大手新聞各紙に掲載された。一見普通の求人広告と変わらず、何の問題もないように思えるが、この広告を出したのは、日本政府や警視庁が設立に関わった特殊慰安施設協会(RAA)であった。

1945年8月15日、天皇が無条件降伏を発表した後、米軍は日本に軍事基地を設立し、部隊を進駐させ、日本占領を発表した。米軍が日本に進駐し始めたばかりの頃、兵士たちは各地で問題を起こし、日本人婦女に対する強姦事件も頻繁に発生した。当時、日本社会全体が不安で怯えており、調査を通じて、米軍の占領に対し日本国民が最も恐れていたのは婦女凌辱事件発生であることが明らかになった。

社会に不安が広がり強姦事件が多発化する中、政府は閣議を開き緊急対策を協議した。協議の結果、慰安婦組織を設立し、米軍兵士向けに「慰安」施設と性サービスを提供していくことを決定した。

必要となる各種施設の建設費用は5000万円と見積もられたが、敗戦直後の当時の日本は経済が全面崩壊しており、このような金額を捻出することは容易ではなかった。だが、大蔵省主税局の池田勇人局長はすぐさまこの予算を承認した。彼は「これだけの金額で大和民族の血統の純潔と永続が守れるなら、確かに割に合う。少しも損にはならない」と認識しており、まさに厚顔無恥であった。

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