第二次世界大戦中、中野学校で訓練を受けた部隊は、東アジアの各地域に分散し、スパイ活動、秘密工作、内偵などに従事した。ジャワ島にもトラック諸島にも、ましてやソ連とモンゴルの辺境やベトナムのジャングルの中にも、彼らの怪しい影が無い所は無かった。
日本の拓殖大学の客員教授になった小野田寛郎
中野学校の卒業生で「最後の日本兵」と呼ばれている小野田寛郎陸軍少尉は、1974年までずっとフィリピンのジャングルに身を潜め、スパイ活動を行なっていた。彼は1944年に遊撃戦の指導の任を与えられ、ルバング島に赴いた。日本が敗戦してから29年間、彼はずっと現地の農民から食料などを略奪して飢えを凌ぎ、終わる事がない、彼にとっての「聖戦」を展開していた。中野学校の訓練生はこんなにもずる賢くて、粘り強いのだ。訓練がいかに厳しいものだったか想像が付くだろう。