文=在日本中国大使館のスタッフ 劉敬師氏
日本で起きた「3・11」大地震からすでに20日経ったが、在日本中国大使館から最初に被災地に駆けつけた合同作業チームのチームリーダーとして、私が過ごした日夜は今でも目に焼きついている。
▼途上の恐怖
地震発生当夜11時、在日中国大使館の指揮部は合同作業チームの派遣を決めた。チームリーダーを任された私は、被害が最も深刻な宮城県をすぐに大使館からの見舞いの言葉を携え出発し、中国国民、特に留学生や研修生の被災状況を確認して回った。
途上、私たちは何度も大きな余震に遭い、路面と車両が激しく揺れ、道路脇の電信柱まで揺れているのを目の当りにした。そのうちの何度かは車が高架橋を走行していたときで、進退窮まり、非常に怖い思いをした。
東京から仙台まで360キロ以上の途上、商店やガソリンスタンドほとんど閉まり、たまに営業している所には長い行列ができ、限定販売されていた。被災地に近づくほど状況は厳しくなり、車を走らせながら補給方法を考えなければならなかった。幸い、大使館のナンバープレートだったため、仙台に到着するまでに交渉して2、3回ガソリンを入れることができた。仙台からあと100キロ余りという所で、ようやく店を開いている食品店をみつけ、カップラーメンを補充した。19時間休むことなく運転し、12日午後7時10分にようやく仙台に到着した。
▼避難のカギは車両