『孫子の兵法』は創設から第二次大戦での壊滅に至る日本海軍の70年余りの歴史において、その台頭、強大化、衰退を目撃してきた。第二次大戦期、日本軍人は「兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」という『孫子の兵法』を捨て去り、「必殺、必勝、必贏」という歪んだ教えを注ぎこまれた。太平洋戦争後期、ほとんど狂った日本海軍は最後に「特攻戦法」に打って出て、隊員は集団自殺し、連合艦隊は解散した。
日本の著名な兵法史学者・佐藤堅司氏は著書『孫子の思想史的研究』において「『孫子』は2千年以上前の書だが、国力、戦力、経済力、外交面で普遍的な総力戦体制を明示している。日本の敗戦は切実な体験によって『孫子』の価値を実証した」と指摘している。日本の著名な現代軍事評論家・小山内宏氏は第二次大戦の日本の失敗について「もしあの時『孫子の兵法』を真剣に学んでいれば、あの戦争を軽率に発動することは絶対になかった!」と述べている。
「孫子は正義でない戦争は必ず敗れるとはっきり言っている」と服部氏は指摘する。「維新期にロシア軍から攻撃された際、日本は英国の支持を得た。そして第二次大戦期に日本は侵略戦争を発動し、重い代償を支払った。これは必然だ」。
服部氏は著書『孫子兵法新校』で「昭和天皇はかつて第二次世界大戦における日本の失敗について『兵法研究の不足』と感慨を込めて言った。世界最高水準の『孫子の兵法』を学び、応用していれば、必ず失敗する戦争を発動することはなかったという考えがうかがえる」と書いている。
「人民網日本語版」2011年5月25日