野田佳彦氏
日本の首相がまた交代した。こうしたニュースはすでに人々の注意をさほど引かなくなっているようだ。過去10年間に日本の首相は7人登場し、小泉純一郎氏を除く6人は全て1年前後で交代している。走馬燈のような日本の政界に世間では議論が噴出している。近年、日本経済・社会の積弊が日増しに深まり、明らかになるにつれて、政界の走馬燈現象はますます国内外から揶揄の対象にされている。近年のわれわれの東アジア政治研究においても、不安定な日本政界は焦点の1つだ。(文:房寧・中国社会科学院政治学研究所所長。「環球時報」掲載)
憲政体制は政治システムの最表層の構造だ。表面上、日本の政客が順番に首相や大臣になる習慣は自然に見える。だが当然、そう簡単にはいかない。頻繁な人事交代を真に決定するのは憲政体制下の「派閥政治」だ。西側の政治体制で政治家が利益集団の代表、代弁者であるのは普遍的な現象だが、日本の派閥政治はその極端な形と言える。日本の議員は通常、十分に安定した「基盤」を持っている。特定の政治一家、政治勢力がその地区の基盤を占有する現象は古くからあり、一般的だ。長期安定的な政治経営によって、議員を中心とする利益集団が形成された。議員とその背後の利益集団は支え合い、利用し合っている。このため日本の国会には「族議員」という言葉がある。特定の地域や業界の特殊な利益集団を代表する議員のことだ。首相や大臣は自民党派閥の政治的取引や妥協の結果だ。首相や大臣が密室内の取引と妥協の産物である以上、その必然的な結果として、通常の二大政党制のような「勝者が全てを得る」気勢や能力は失われ、政策決定能力や政治行動力も削がれる。
派閥政治が政府の弱体化を招くとはいえ、政界は本来走馬燈のように頻繁に交代すべきものではない。バブル崩壊は深刻な連鎖反応を政治にもたらした。苦境に陥った経済界は自民党への支持の度合いを大幅に弱めた。本来豊富な資金力によって派閥をまとめていた指導層は資金不足によって対応に窮し、利益関係の調整能力が大幅に弱まり、内部対立が激化した。内部対立の激化は与党・政府の一層の弱体化を招き、深刻な経済問題の解決策も全く打ち出せなくなった。ここに政治の悪循環が形成された。
日本を余り理解していない人は「見ろよ。首相は頻繁に交代しているが、社会はとても安定しているじゃないか?」と言う。これは全くもって相手の実情を知らないがゆえの言葉だ。国際社会の不満や皮肉はひとまず置くとして、本当に焦っているのは日本の政治家だ。彼らは、このままいけば日本がどうなるか、いちばんよくわかっている。