日本には釣魚島を盗み取ろうと島名を改竄(かいざん)した歴史がある。中国の学者、鞠徳源の考証によると、1838年前後に清朝の冊封使の接待を担当する琉球人が那覇西方沖の「慶良間諸島」の「久場島」と「久米赤島」の名称を黄尾嶼と赤尾嶼に誤って当てはめた。これは清朝冊封使を混乱させただけでなく、1885年に日本の明治政府が釣魚島を高望みする際にも利用された。だが、当時日本政府の密命を受けて釣魚島を調査した西村捨三・沖縄県令でさえこの挙を不適切と感じ、「久米赤島、久場島及ビ魚釣島ハ、古来本県ニ於テ称スル所ノ名」としながらも「中山伝信録ニ記載セル釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼ト同一ナルモノニコレ無キヤノ疑ナキ能ハズ。果シテ同一ナルトキハ、既ニ清国モ旧中山王ヲ冊封スル使船ノ詳悉セルノミナラズ、ソレゾレ名称ヲモ付シ、琉球航海ノ目標ト為セシコト明ラカナリ。依テ今回ノ大東島同様、踏査直チニ国標取建テ候モ如何ト懸念仕リ候間」と報告している。日本語では動詞を目的語の後に置くため、日本は釣魚島を「魚釣島」と改称した。だが第二次大戦後まで日本が公文書や地図に使用し続けた黄尾嶼や赤尾嶼は中国の島名だ。
日本は釣魚島列島を「尖閣列島」と改称したが、これは『イギリス海軍水路誌』の海図にある"The Pinnacle Islands"を「尖閣群島」と訳したのが始まりで、「尖閣列島」と呼び始めたのは1900年になってからだ。つまり中国による命名より少なくとも500年近くも遅いのだ!釣魚島の主権問題において島名の改竄が徒労かつ無益であるばかりか、隠そうとすればするほど露呈し、小細工を労してかえって失敗する結果に終るということは、歴史によって証明されている。
「人民網日本語版」2012年2月1日