東アジアではわずかな異変があれば、招かれざる怪人が押しかけてくるのが常だ。釣魚島(日本名・尖閣諸島)紛争が原因で中日が膠着局面に陥ると、米国がやってきた。それも武器を携えてだ。(文:王新俊・軍事科学院国防政策研究センター研究員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
米海兵隊と日本の自衛隊は21日、37日間の日程で島嶼作戦演習を開始した。産経新聞は日本の防衛省幹部の話として「演習は中国軍が釣魚島に侵入し、米日が合同で奪還する事態を想定している」と報じた。
中国に対する米日の合同「示威行動」の目的は言うまでもない。
米国は「情勢の均衡を図り、東アジアの平和を確保し、同盟国の利益を守るために来た」と言うかも知れない。だが火に油を注いでも、東アジアに平和は築けない。真の平和が依って立つものは相互信頼と相互利益、そしてルールと道義である。隣人同士が口論している最中に一方に銃を手渡し、その使用法まで教える。これは和解を取り持つ者の姿勢ではない。
米国の同盟国である日本が最近焦っており、少し慰める必要があるようなのは確かだ。だが同盟国の利益を考えるのなら、全面的、長期的に考えなければならない。自らに退路を残しておくことも必要だ。日本は米国本土を近くに引き寄せることはできない。日本の対岸はいつまでも中国なのだ。しかも中国は米国が新しいタイプの協力パートナーシップの構築を図っている国であり、米日両国にとって重要な経済パートナーでもある。同盟国が来たので肝っ玉が大きくなり、どすのきいた言葉を吐くことは、とても簡単だ。だがこれは根本的問題の解決にならず、建設的姿勢でもない。
隣国間のもめ事や摩擦が避けがたいのは昔からだ。たとえ夫婦、兄弟、父子の間でも多少の溝はある。道徳心ある正義の傍観者は、牽制と均衡の策略を弄するのではなく、仲裁に努め、摩擦のエスカレートを防ぐべきだ。ごく一部の国は覇権をもてあそぶために地域の平和を犠牲にすることも辞さず、あらん限りの手を使って仲を引き裂こうとする。焚きつけて緊張をつくりだす、直接介入して戦争を引き起こすなどして、衝突双方の力を削ぎ、一方または双方が自らに頼るようにし、自らの強権的地位に挑戦する意志と力を瓦解させることで、地域における支配的地位を獲得しようとするのである。こうした光景は西アジアや北アフリカ、そして東アジアでも見られる。
中国は隣国関係の処理において、かねてより「隣国をパートナーとし、隣国に善意で接して」おり、「近隣関係の安定、近隣国の経済成長促進、善隣」を主張し、隣国関係の発展を重要な位置に据えている。隣国と良好な関係を実現して初めて、自国の発展と安全に向けた堅固な土台が得られる。これは全ての国に通用する道理だ。