1人のマスコミ関係者が中国版ツイッター「微博(ミニブログ)」を通じて部(日本の省に相当)級高官を最終的に失脚させた--。国家発展改革委員会の劉鉄男副主任が重大な規律違反の疑いで調査されたことに人々はこうした強烈な印象を抱いた。この一里塚的な事件は、より広範なメッセージも発した。(環球時報社説)
昨年12月6日に雑誌「財経」の羅昌平副編集長が微博上で劉を実名で告発して以来、劉の先行きは暗いとの見方が広がった。羅氏の告発が「真実のようである」こと以外に、「劉に本当に何かあれば、今の中国には彼を守ることができる人はいないということだ。部級高官の地位も護身符にはならない」と思われたからだ。
劉鉄男事件によって「腐敗や醜聞が暴かれ、かつ真実でありさえすれば、容疑者が逃れられる可能性はすでに小さい」との中国社会の信念が一段と打ち固められた。正義は一部の人が言うような中国社会の化粧品では決してなく、この社会の本当の顔と姿勢だ。これには2つの大きな原因がある。第1に民意が強くなっているうえ、民意に背くことはできないと誰もが知っているからだ。第2に「制度」の過ちを正す機能が確たるものとなり、少数の者の権力や意向によって変更されることはないからだ。
注意深く見るなら、これが中国で発展している民主と法制の真髄である。
だがわれわれは、羅氏が劉を告発した同日、国家エネルギー局が公式に劉氏の「潔白」を保証し、劉氏への「中傷とデマ」事件を警察に届け出ると宣言したことをはっきりと覚えている。これは公権力が高官に屈服し、さらには「私物化」されることもあることを反映している。これがまさしく腐敗発生の温床の1つではないと誰が言えよう。
告発から調査中であることの公表まで計5カ月余りかかった。このような結果とペースは、今後の世論の予想に一段と影響を与える。過去5カ月の間、告発への政府の対応の誠実さに疑問を呈する声が度々上がった。だが今振り返ると、この間調査はずっと静かに深く行なわれていたのだ。