中国が抗日戦争(日本の呼称・日中戦争)勝利記念日と南京大虐殺追悼日を法制化するのは、情・理・法のいずれにおいても当然のことである。日本の政治屋はまた複雑な心境で落ち着かず、びくびくして意気消沈していることだろう。案の定、後手に回った日本は「中国が歴史包囲網を構築」と主張している。「包囲網」などの有無は、差し当り論じない。実情として、もし日本が歴史的な重荷を下ろさずに背負い続けるのなら、現実は芳しくなく、未来は憂慮されるものになるだけだ。(文:金採薇。人民日報掲載)。
安倍政治の持つ深い意味を知らず、頭を悩ませている日本人も少なくないのかもしれない。「前の世代の事はわれわれには関係ない」「69年経ったのに、なぜまだこだわるんだ?」と。
被抑圧者と抑圧者、被虐殺者と虐殺者とでは、感じ方が全く異なる。抑圧者は罪名を雪ごうと、故意に忘却することを選択する。虐殺者は死体の痕跡をなくそうと、歴史の改竄を図る。これもおかしなことではない。もし日本が侵略され、虐殺された国の人々の立場に立って、自分の父や兄が虐殺され、自分の妻や娘が強姦され、自分の国土が蹂躙され、自分の庶民が奴隷的に酷使されたと想像してみれば、なぜ中国人が片時も歴史を忘れないかを理解できるかもしれない。日本は広島、長崎への原爆投下を毎年思い出しているのではないのか?日本人は人間だし、中国人も人間だ。日本は忘れられないのに、まさか中国は忘れるべきだとでも言うのか?違うのは、日本の庶民を殺害した張本人は、まさに日本軍国主義だということだ。日本が発動した侵略戦争が、広島と長崎に壊滅的な災禍をこうむらせた。どの国であれ、戦争の被害者が共に強く非難すべきは軍国主義とファシズムであり、他の何ものでもない。
「国によってはあの歴史にもう言及しないのに、なぜ中国人はこだわりつづけるのか?」と言うかもしれない。そのような考え方は無邪気と言わざるをえない。あの戦争に対する被害国の反応には、地政学的状況や現実的利益を考慮して違いがあるかもしれない。言及を望まない、あるいは敢えて言及しないのには、それぞれ目的がある。だからといって、あの歴史が存在しないということにはならない。69年は言うまでもなく、数百年経っても、第2次大戦の歴史を消し去ることはできない。米国人が真珠湾攻撃とその後の太平洋戦争を忘れることはないし、東南アジアの一部の国も日本軍が彼らのふるさとを壊滅させ、彼らを奴隷的に酷使したことを忘れることはない。日本はかつて軍国主義国家であったし、敗戦国なのであり、戦後国際秩序の取り決めを受け入れなければならない。この事は時が流れても消し去ることはできない。