日本の菅義偉官房長官は「なぜ第2次大戦終結後69年たって国家哀悼日を制定するのか、日本側には疑問がある」と述べた。われわれは単刀直入に彼にこう告げることができる。今の世代の日本人が侵略戦争を発動したとは誰も言っていない。だがもし今の世代の日本人が歴史を顧みず、歴史を改竄し、過ちを認めないだけでなく、昔の軍国主義の幟を掲げるのなら、被害国の人々の憤りと警戒を招かないわけにはいかない。安倍首相の靖国神社参拝とA級戦犯の供養が、必ず世界の平和勢力に強く非難されるように。安倍首相は各国に説明をしたいと言い続けている。この弁解は日本人に向けて言うのは、まだ可かもしれない。だが被害国の人々に向けて言うのは、難しいだろう。この世界には日本だけでなく、多くの国がある。この惑星には大和民族だけでなく、多くの民族がいる。人を怒らせ、傷つけておいて、喜んで受け入れろと言うのは不公正だ。
侵略は侵略であり、歴史を直視する勇気を持ち、平和的発展の道を歩むことがより重要だ。理知で聡明な民族なら、失敗と没落から教訓を汲み取り、真摯で素直な姿勢で心を入れ替えることをわきまえているはずだ。過ちを隠蔽し、罪の招魂をするのではないのだ。後者なら夢でうなされるような悪名から逃れられないだけでなく、自己救済も難しくなる。中日関係をうまく処理するには、「歴史を鑑として、未来に向かわなければならない」と中国人は早くから指摘してきた。日本のような過去に不名誉な歴史を持つ国は、歴史について自らを全く省みないのなら、将来は恐らく面倒がさらに増え、安倍首相の望むような「強い日本を取り戻す」ことも論外となる。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年2月28日