「中国は自国の力で原爆実験に成功した。米国は中国を無視できない状況に陥った」、「中国の核実験は、米ソを中心とする固定化された国際関係を徹底的に破壊し、世界を多極化に向かわせた」これは半世紀前、中国初の原爆が実験に成功した当時の、国際メディアの基調だ。
日本国内でも中国の核実験に抗議の声があり、開幕して1週間しかたっていなかった東京五輪に「緊張感」がもたらされた。しかし共同通信社は1964年10月18日に、「中国の核実験は、1949年に米国の核兵器独占を打ち破ったソ連の核実験に劣らず、世界の政治情勢に大きな影響を及ぼした」と報じた。外務省の関係者も、中国は排他的な「核兵器クラブ」に入ったことで、アジア最大の大国の称号を獲得し、世界の大家庭から「共産党の中国」を排除しがたくなったと認めた。読売新聞は「激動の世界と日本」という社説の中で、「フルシチョフの解任、中国の核実験、英国の労働党の勝利といった異常な変化が立て続けに生じ、戦後の国際政治の時代を画する重要な出来事となった」と論じた。スウェーデンのスヴェンスカ・ダーグブラーデット紙は、「中国がフルシチョフの解任後、直ちに原爆実験を行ったことは、一種の皮肉だ」と伝えた。UPI通信社は、「心理的な影響は大きかった。白人以外の国が、初めて軍事技術のうち最も奥深くに隠された秘密を明らかにした。中国人は西側の民族しか入れなかった領域に足を踏み入れた」と報じた。
米週刊誌は1964年10月31日に、中国の核兵器の影響について、「中国のこの措置は米国のみならず、日本にも警告を発した。日本は米国の圧力を受け、米空軍・潜水艦の正式な核兵器基地になった。ソ連と中国が核兵器を保有する中、日本は核中立政策を維持しなければ、この核兵器の戦火を免れることができない」と報じた。ボイス・オブ・ロシアは2012年2月、「米国は1960年代に、中国の核兵器プロジェクトを揺籃の中に押しとどめようとしたが、世界大戦の勃発を懸念しこれを諦めた。その予想通り、中国は原爆を保有したが世界核戦争を引き起こさなかった」と指摘した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年11月28日