海軍の「私の家、私の船」をテーマとする宣伝活動が今月上旬に始まった。2015年のイエメン中国人退避行動によって名を上げた北部戦区海軍某支隊臨沂艦及び臨沂市が、今回の活動の始発駅になった。環球時報の記者は活動中、実戦任務により鍛えられた臨沂艦の艦長を取材した。臨沂艦は新中国成立から70年に渡る人民海軍の建設・発展の成果の縮図だ。
記者は1日、このイエメン中国人退避行動で全国民に知られることになったスター艦に乗艦した。臨沂艦の主要通路には、記念品が飾られている壁があった。右側には外国海軍から寄贈された艦艇のエンブレムと記念品が飾られ、左側には臨沂艦の航跡が記されている世界地図が飾られていた。張広耀艦長は「私たちの航跡は絶えず拡大しており、臨沂という名刺を全世界に届けている。外国の港に停泊するたび、私たちは外国人に臨沂市の宣伝冊子を配り、世界の人々が臨沂を知るための窓を開いている」と話した。
当時副艦長だった張氏は中国人退避活動について、これが自分にとって最良の実戦であり、最大の収穫だったと振り返った。「私の実戦への理解はイエメンの中国人退避でさらに深まった」「平和な環境においては、経験が想像力を制限し、脅威がどこから来るのかを正確に判断することが難しくなる。実戦訓練によりさまざまな複雑な状況に対応する能力を高め、実戦との差を縮めるしかない」
中国人退避が臨沂艦の輝かしい時であったとしても、臨沂艦は帰国後も人々の視界から姿を消していない。2018年4月の南中国海における観艦式では、空母打撃群の中に加わっていた。2019年4月の大型観艦式では、護衛艦隊の先頭に立っていた。臨沂艦は続けて5月上旬に中露海軍合同演習「海上協力−2019」に参加した。
空母打撃群に加わったのは偶然ではない。張氏は、臨沂艦は遼寧艦を最も良く理解している艦艇だと考えている。臨沂艦は遼寧艦の成長の重要な節目を見守った(初の実弾射撃、艦載機の初の夜間着艦、初の遠洋訓練など)。臨沂艦は自身にふさわしい任務を黙々と遂行した。