「ルビコン川を渡る」という言葉があります。もはや後戻りのできない道へと踏み出す重大な決断を意味する表現ですが、こんな退嬰的な「動き」にこの表現を使わなければならないとは、語るべき言葉を失いました。6月末にスペインのマドリードで開かれた北大西洋条約機構(NATO)首脳会議と、そこに日本の首相として初めて出席した岸田首相の言説を巡ってです。世界が、そして日中関係が深刻な状況に直面することになると、深い危惧を抱くことになりました。
冷戦後の世界が新たな局面に
今回の「首脳会議」では、NATOにおける今後10年間の防衛・安全保障の指針となる新たな「戦略概念」で初めて中国に言及し、中国が「体制上の挑戦」を突きつけていると記しました。「中国の野心的で威圧的な政策はわれわれの利益、安全保障、価値観に挑戦するもの」で「法に基づく国際秩序を覆そうとしている」というのです。ここで言う「われわれ」については深い吟味が必要ですがひとまず置きます。
1949年に発足したNATOは北大西洋条約第5条で集団安全保障の領域を「欧州または北米」としてきました。それが、70年を超える歴史で初めて領域外の中国を挙げたのです。まさしく「冷戦後の世界秩序が新たな局面に入ったことを印象付けた」(時事6月30日)と伝えたメディアの言葉に、今回の首脳会議が孕む「重大性」を見ることができます。そして、米国のバイデン大統領と共にその先導役を果たしたのが、日本というNATO域外の国から参加した岸田首相だったことは実に深刻だと言うべきです。
首脳会議において岸田首相は「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」「欧州とインド太平洋の安全保障は切り離せない」と力説し、NATOをアジア太平洋地域に引き入れる主導的役割を果たしました。バイデン大統領は首脳会議後の会見で、「ロシアが欧州にもたらす直接の脅威と、ルールに基づく国際秩序への中国による挑戦の両方に対応するため、同盟国を集めた」と述べるとともに「世界は変わった。NATOも変わっている」と語りました。
もう一度米国主導の世界へ、付き従う日本
米国のブリンケン国務長官は4月26日上院外交委員会の公聴会に出席し、ウクライナ危機に対し「日本が素晴らしい形で立ち向かった」と称賛するとともに、6月下旬に開催予定のNATO首脳会議に日本が参加すると明らかにしました。首脳会議の2カ月も前のことです。中国に対することごとくが米国主導で決められ、それに日本が付き従う構図の中にあるというわけです。
さらに、会見でのバイデン大統領の発言を目にして、2020年初頭、大統領選挙を戦っていたバイデン氏が米外交問題評議会の「フォーリン・アフェアーズ」に寄稿した言説がよみがえりました。そこでは「もう一度、アメリカが主導する世界を再現する必要がある」として「地に落ちたアメリカの名声やリーダーシップへの信頼を再建し、新しい課題に迅速に対処していくためにアメリカと同盟諸国を動員しなければならない」と主張していたのです。いま起きていることを読み解く鍵がここに凝縮されています。
前述した「われわれ」の吟味について言えば、すでに「地に落ちた」米国一国覇権に基づく旧来の世界秩序をなんとかもう一度再現したいという「価値観」と「利益」を共有する「われわれ」というわけです。「法に基づく国際秩序を覆そうとしている」という中国への危機感は、ある意味では本質を突いているのです。それゆえに冷戦の「産物」そのものであるNATOをよりどころに、それをアジア太平洋にまで押し広げ、つまりNATOの「世界化」を図ることで、中国が掲げる新たな世界像を目指す理念と構想、それに基づく諸政策に対抗して、なんとしても「封じ込め」を図りたいということなのです。その最先鋒に日本が立ったというわけですから、深い危惧を抱かざるをえないのです。
新たな世界を目指す胎動と中国
しかし今回の「首脳会議」によって、改めて、中国が何をどう考え、世界がどう動いているのかを見据える契機をもたらしたと言えます。要点を絞ってですが挙げてみます。
まず、未来の世界の在り方を示す大きな理念として「人類運命共同体」があります。しかし、誰もがそうありたいと願っても、国家の枠組みから踏み出すことができず利害の対立、衝突も絶えない現実を見れば容易な道ではないと思うのが普通でしょう。そこで、これをどのような道筋で実現していくのか、つまり山の頂上を目指すために多様かつ多元的な「登山口」と「登山道」が用意されることが必要になります。
地球を取り巻く広がりを見せる「一帯一路」イニシアチブは言うまでもありません。昨年9月、国連総会で習近平国家主席は「グローバル発展イニシアチブ」を打ち出し、11月にはアジア太平洋経済協力会議(APEC)のCEOサミットで「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を提起、年明けに開催された世界経済フォーラムのテレビ会議で習主席は「グローバル発展イニシアチブ」について「全世界に開放された公共財」であり「各国と手を携えて協力し、立ち後れる国が一つもないよう努力したい」と中国の決意を世界に向けて発信、4月に開催されたボアオ・アジアフォーラムでは「グローバル安全保障イニシアチブ」を提唱、そして「BRICS」(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アの新興5カ国)の連携の深化と拡大へと、相次いでビジョンと政策が提起されその具体化が加速しています。
「NATO首脳会議」に先立って開かれたBRICSビジネスフォーラムの開会式の基調演説で習主席は「国際社会は、ゼロサムゲームを放棄し、覇権主義とパワー・ポリティクスに共同で反対し、相互尊重、公平・正義、協力・ウインウインという新しいタイプの国際関係を構築し、苦楽と安危を共にする共同体意識を確立する必要がある」と語り掛けました。
このように俯瞰して見ると、「NATO首脳会議」を巡る「動き」の背後には、多様な思想、多様な国の在り方を否定し世界に敵対と分断をもたらす「旧来の思考」に基づく「世界秩序」と、新たな未来を開く「世界秩序」への胎動との歴史的葛藤が存在していることが見えてきます。
新たな時代に求められる思考とは
米欧、日本は中国を最大の「競争」相手と言いますが、「競争」(competition)の原義はラテン語で「共に努力する」という意味だと学んだことがあります。時代は「競争」とは何かの再定義をも迫っているのです。また、「問題を生んだ時と同じ思考ではその問題を解決することはできない」と言ったのはアインシュタインでした。世界は新しい秩序を求めているのです。そのけん引力として中国が存在していることを「体制上の挑戦」だと言うのでしょうか。冒頭で「退嬰的」という言葉を用いました。辞書によれば「進んで新しいことに取り組もうとしないさま」と説かれています。始めに引いた「冷戦後の世界秩序が新たな局面に入ったことを印象付けた」という意味をどう読むのかがとても重要になってきます。それは中国と向き合う私たち一人一人にメディアや時流に流されない深い思考を迫るものでもあるのです。
人民中国インターネット版 2022年7月11日