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香港 |
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香港地区は香港島、九竜、新界からなり、総面積は約千九十二平方キロ、現在の人口は六百三十一万人、そのうち九五%は中国人である。香港は国際大都市で、アジア太平洋地域の重要な国際金融・貿易・海運・観光・情報センターであり、「東方の輝く真珠」といわれている。
一九九七年 香港の祖国復帰のとき、「香港は以前のように繁栄できるのか」、「中国人が香港を管理できるのか」といった疑問を口にする人がいたものだが、三年余り経過した今日、香港はその様相と繁栄ぶりによって、 ケ小平氏の提起した「一国二制度」という偉大な構想がここで最も良く実践されていることを世界に向かって示した。董建華氏をはじめとする香港特別行政区政府による「基本法」に基づく施政は、金融危機の嵐に打ち勝ち、国際金融・貿易・海運の中心地としての香港の地位を強固にし、香港の繁栄と安定を維持した。香港の金融システムはいちだんと開放され、経済基盤はいっそう固められ、法制基盤はより安定して、香港の人々はその前途に自信を抱いている。 香港は、復帰して間もなくアジア金融危機という衝撃を受けたが、特別区行政政府は冷静に対処し、一九九九年から香港経済を回復基調にのせ、二〇〇〇年には全面回復の力強い軌道にのせた。香港特別区行政政府が明らかにした統計データを見ると、金融危機の洗礼を受けた香港が大陸部を力強い後ろ盾として、必死に努力して困難に打ち勝ち、再び活気を取り戻したことを示している。二〇〇〇年の香港経済は少なくとも次のような八つの新記録をつくった。 一、年間を通じて経済成長率が一〇・五%を超え、香港特別行政区政府、国際機構およびあらゆる民間経済分析機関の予測をはるかに上回った。これは、ここ十三年で最も高い成長率であるとともに、アジア地区ひいては世界でも最も高い成長率であった。 二、貿易額が大幅に伸びた。統計によると、二〇〇〇年初頭から十一月までの香港の貿易額は前年同期比一七・八%増で、そのうち中継貿易による輸出入量の伸び率は一九・二%、香港製品の輸出の伸び率は八%、輸入の伸び率は二〇・四%であった。 三、コンテナ貨物取扱量が前年比九・八%増、千七百八十万個標準コンテナの新記録を達成し、シンガポールを抜いて、再び世界一のコンテナ埠頭の王座を確保した。一九九二年から一九九七年まで、香港は六年連続してコンテナ埠頭世界一の座を守り続けたが、一九九八年にシンガポールに抜かれ、一九九九年にトップの座を奪い返し、二〇〇〇年にはいちだんと飛躍して、シンガポールとの差は標準コンテナ二十余万個から七十六万個へと拡大した。 四、重要な支柱産業としての観光業が急成長をとげた。二〇〇〇年に香港を訪れた観光客は前年比一五%増の延べ千三百六万人にのぼり、過去最高だった一九九六年の延べ千二百九十七万人を凌ぎ、ホテルの利用率は前年比四ポイント増の八三%に達した。 五、二〇〇〇年末現在、外貨準備高は千七十五億ドルに達し、台湾を抜き、日本、中国大陸部に次いで、世界第三位となり、香港の貿易力、金融力、財政力などがいっそう強化された。 六、航空輸送量が大幅に伸びた。二〇〇〇年、香港国際空港の航空機の離発着数は前年比八・七%増、旅客数は九・八%増の延べ三千三百四十万人、貨物輸送量は一三・三%増の二百二十四万トン余りで、乗り継ぎ旅客数も二割近く増え、世界における重要な航空輸送ターミナルとしての香港の役割がいっそう顕著になった。 七、外国企業の香港ヘッドオフィス、事務所が大幅に増加した。二〇〇〇年末現在、外国企業の登記済みの香港ヘッドオフィスは前年比二〇余%増の三千社を超えた。これは世界のビジネス界が香港経済の見通しとビジネス環境にいちだんと好感を抱いていることの有力な証しである。 八、最新の統計によると、香港で登記された船舶の総トン数は一千万トンを超えて千七十一万トンに、船舶数は五百八十一隻に達し、世界第七位となり、世界の海運センターとしての香港の地位がさらに強固になった。 香港経済の急速な回復は、まず大陸部経済の急成長に負うところが大きかった。二〇〇〇年、大陸部経済の力強い成長と改革・開放の足取りが加速され、香港経済の成長の主な牽引力となった。大陸部の国有企業システム改革の深化、海外での上場企業の増加はいずれも香港市場の資本運営を推進する一助となった。つぎに、アジア太平洋地域の金融・貿易センターとして、香港経済の成長は必然的にグローバル経済の発展の影響も受けて、アジア諸国の経済が全面的に回復したことが、香港経済に対して一定の促進作用を果たした。 また香港経済の急速な成長は、特別行政区政府による一部の改革措置と切り離すことができない。国際金融センターとして、香港は時代の潮流に適応して積極的に一連の変革を展開し、証券、先物取引所の合併、ドル決算システムの採用、証券・銀行取引におけるITの迅速な採用などは、金融市場の監督・管理水準と経営効率を効果的に高め、経済全体のリスク抵抗力と国際市場での競争力を強化した。そして、二〇〇〇年に米国のヘリテージ財団は再び、香港を世界で最も自由な経済システムとして選んだが、これは香港にとって連続七年目の栄誉である。 当然ながら、香港経済はその回復過程で、大きな試練に直面した。その最大のものは、二〇〇〇年における世界経済のめまぐるしい変転である。二〇〇〇年三月から、米国株式市場の度重なる大幅下落が、香港のハンセン指数を年初の一八〇〇〇ポイント台から一五〇〇〇ポイントへと押し下げ、二〇〇〇年に入ってから米ドルが頻繁に利上げされたことによって、香港ドルの実質利率は過去二十年でのほぼ最高水準にまで押し上がり、もともと軟調な不動産市場と多くの中小企業を再び挫折させたうえ、国際石油価格が二〇〇〇年下半期に暴騰したことも、香港の貿易と消費に一定の影響を及ぼした。こうした不利な情勢の中で、良好な経済的基礎・ビジネス環境、完備された法律制度、高効率の管理システムに依拠し、特に大陸部経済の活況の影響と牽引のもとに、各界人士の前向きな積極性と経営努力があいまって、激しい国際市場競争の中で香港経済の活力を維持させたのである。 1 | 2 |
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