宋太祖の寓居 龍興寺

宋太祖の寓居 龍興寺。

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発信時間: 2012-02-08 11:53:44 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

宋太祖の寓居 龍興寺

龍興寺は新絳県城北街にある山の崖に位置する。文書に唐代の建立とある。碧落天尊が祀られていたことから、かつては碧落観と呼ばれたが、唐の高宗咸享元年(紀元670年)に龍興寺と改められた。

唐の会昌五年(紀元845年)、武宗李炎が滅法運動を起し、寺や仏像の破壊が進んだ。龍興寺も灰燼に帰し、塔院寺だけが焼失を逃れた。宋代には、太祖趙匡胤がここに住んだため、寺から宮殿にかわった。その後僧侶がここに住むようになったことで、名前が龍興寺に戻った。

本堂の後方に石碑を風雨から守るための亭と石碑の台座が前後してある。そこには10以上の古代の文字が刻まれており、どれも注目に値する。中でも価値あるものが、書道界で「大篆」として知られる書体で書かれた「碧落碑」である。この碑は高さ2.26メートル、幅1.03メートル、厚さ0.21メートル。唐の高宗李治総章三年(紀元670年)、高祖李淵の第十一子である韓王元嘉の子、李訓、李誼、李撰、李諶が、亡き母を弔うために作ったものである。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年2月