禹。 禹は、姓を姒、またの名を大禹、夏禹をいい、治水の英雄…

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発信時間: 2012-02-13 15:39:52 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

禹は、姓を姒、またの名を大禹、夏禹をいい、治水の英雄として知られる。

大昔、天地は茫々とし、天は荒れていた。人々は海や河川の洪水に苦しんでいた。堯帝は禹の父親である鯀に治水を命じた。鯀は堰や堤を作って洪水に供えた。その時に採用された「堙」という手法で、9年間洪水を防いだ。堯の助手であった舜は、この治水の業績を評価せず、鯀を羽山で謀殺した。

舜は鯀の息子である禹に引き続き治水を担当させた。禹は冀州を起点に全国を視察し、水の流れをせき止める手法を採ることに決めた。

当時の紹興地域でも洪水の被害がひどく、荒廃の地と呼ばれていた。舜の治水事業はこの地まで及び、山を開き水の流れを削ぎ、海へ流した。これによって海岸沿いの土地に新たに平原が生まれ、人々が移り住んで開墾に励むようになった。舜は紹興で妻・涂山を娶った。新婚生活が始まって4日後、舜は再び治水事業に戻った。結婚後13年間家に戻らなかった。そのうち三度、家に帰る機会を得たが、門をくぐることはなかった。それほどの苦労と滅私奉公は、何千年もの間、美談として伝わっている。中華民族の精神を語る際の重要な構成要素となっている。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年2月