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上海浦東開発・開放18周年記念特集
発信時間: 2008-04-30 | チャイナネット

中国の改革・開放の総設計士である鄧小平氏の提唱により、1990年、中国政府は上海浦東の開発・開放の方針を打ち出した。18年間が過ぎた今、かつて貧しかった浦東は、世界屈指の国際大都市の様相を見せている…

 

チャンスがなぜ浦東に

 

 80年代の深センの改革・開放が、中国の改革・開放の「破氷」ならば、90年代の浦東の開発・開放は、改革・開放事業の「難関の突破」と言えるだろう。1989年、世界では中国が引き続き改革・開放政策を実施していくのかという疑問の声が上がったが、鄧小平氏は改革・開放の継続を繰り返して強調し、実際の施策として浦東の開発を打ち出した。なぜ浦東を選んだのだろうか。それにはまず上海の中国における特殊な地位が考えられる …

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浦東の経済・社会発展の成果

 

 

 

経済規模の飛躍:「10年間で上海を複製」

高い経済成長の「質」:「ビル一棟の年間の税収は2億元」「1平方キロメートル当たりの生産高は150億元」

社会施設の整備:「社長の奥さんが決める投資先」

強い経済の牽引力:「浦東は赤い布を持つ闘牛士」

 

浦東の飛躍を支えた効率の高い「小政府」

「小政府」で働く浦東新区の幹部、「浦東の1日はこれまでの5日分」 

浦東新区が設立された当初、「小政府、大社会」(簡素な政府機構、発達した社会の公共サービス機構)という公共管理のモデルの模索が始まった。政府機構の設置は、今中央政府で行われている「大部制」とよく似ており、一つの機構が複数の機能を兼ねている。浦東新区では13の「局」しかなく、上海のほかの区や県の半分だ。この18年の発展が示しているように、政府機構が少ないことで、公共サービスの量や質に影響を及ぼすことはない…

 

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上海万博、浦東のさらなる飛躍へ

 

 

 

 2010年上海万博敷地の4分の3が浦東にある。「よりよい都市、よりよい生活」という万博のテーマが示しているように、万博の開催は、浦東の都市基盤施設の建設をさらに促進している。都市鉄道6号線は浦東の南北をつなげ、ろ浦大橋、復興東路トンネル、大連路トンネルなどの黄浦江両岸をつなぐ交通も開通した …

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「チャイナネット」2008年4月30日

 
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