第二:信用取引システムとは株価下落のための必需ツールである
なぜ、こんなに沢山の人が信用取引をやりたがるのか?過去、日本が採った一連の金融自由化は、ファンド会社に「タダで引き出せるATM」を提供したことになる。まず1987年、中国の「融資融券」制度(信用取引)にあたる金融の自由化を日本が許可して以来、ファンド会社が日本の証券会社と株券の信用取引を行うことができるようになった。例を挙げてみよう。日本の証券会社から借りた株券を今日100元で売り、明日60元に下がるのを待って買い戻しし、借りた株券を証券会社に返却したとする場合、100元で売って、60元で買い戻したのであるから、40元の儲けがある、というわけである。もし、みんながこのやり方をとれば、株価は暴落するはずである。そのため信用取引制度とは、株価下落のための必需ツールなのである。
第三:外資が証券取引所の会員にならなければ信用取引ができない
1987年、東京証券取引所が外資証券会社を正会員として認めなければ、外資証券会社は、信用取引の商品を展開することすらできなかったはずであり、日本の証券市場を下落させることもできなかったはずである。
1987年、モルガン・スタンレーは大阪証券取引所の正会員権を取得し、同時に投資コンサルティング会社の設立が許可された。続いて、1988年、大阪証券取引所で、日経平均株価指数の先物取引が開始され、1989年には、大阪証券取引所で、日経平均株価指数オプション取引が開始された。日本国内での戦略を企てるモルガン・スタンレーらに、平坦な道を作ってあげたようなものである。この3つの時点は、ちょうど日経平均株価指数の大幅な伸びと対応している。その仕組みは、これら外資系証券会社は、日本経済のバブルを大きくするだけ大きくして、大暴落させる目的だったからに他ならない。このようにして、戦略を成功させるためのツールとして、先ほど述べた「タダで引き出せるATM」が登場する訳である。当然のことながら、日本の株価指数の暴落により、プットで株価指数先物取引およびオプション取引の商品を購入した米国投資銀行および投資家は、大儲けしたことになる。
日経平均株価指数プットオプションが1990年1月から販売を開始して1カ月も経たないうちに、日本の株式市場が大暴落し、投資者が競って投げ売りした様子は、まるで世界が終るかのようであった。