広東省仏山のホンダ部品工場ではストライキが続いており、中国国内の車体組み立て工場は4カ所すべて操業停止に追い込まれた。報道によると、ストライキは低すぎる給与や待遇に対する不満からのものであり、雇用側は昇給案を二通り提示したが、どちらも拒否されたという。ストライキによる雇用側の損失は生産高ベースで一日あたり2億元以上になると業界関係者は推算している。
世間の注目を集めるこの出来事は、緊張感が高まる中国の労使関係を反映している。労働者の権利意識がおもむろに呼び起こされ、旧来の労使関係のあり方が崩れ始めている。強い立場を利用した雇用側の思うままの企業運営のやり方は今、一筋縄ではいかぬ挑戦を受けていると言える。
成熟した社会としては、寛容な心で冷静にストライキを見守らねばならないだろう。ストライキと聞いただけで狼狽しているようではいけない。歴史的に指導者は、ストライキを動乱と同義の、社会の不安定要素として捉えてきた。確かにストライキが起これば秩序がある程度乱れ、社会に損失がもたらされることになる。しかし長期的な目で見れば、労働者の不満と怒りを解放する空気抜きの役割を持ち、重大な社会問題に発展することを防ぐ意味がある。自らの利益を守る方法を労働者が見つけられなくなったときに最後に選択する表現方法がストライキなのであり、この方法がある限り、極端な抗議手段が選ばれる可能性は極めて低くなる。ストライキをきっかけに、労働者の利益訴求に対する雇用側と社会の調整力が働き、不満が大きな社会問題にまで拡大する前に解消され、結果的に社会の安定に繋がるのである。ストライキとは社会が公正さを維持するために払うべき代償である。実際、米国の経済発展史は19世紀末以降常に労働争議と密接な関係にあり続けた。今週初めブリティッシュ・エアウェイズの従業員が行った大規模ストライキは大量の欠航を招いたものの、英国社会全体としては変わらず秩序が保たれ、大混乱には陥っていない。