したがって、労使争議を大げさに騒ぎ立てることはない。ストライキは市場経済における正常なプロセスなのだから、必要以上にもつれることもないし、逆に回避することもできない。「ホンダストライキ」や類似の事件を見て本当に憂慮すべきは、労使争議が現実に起こったときの労働組合不在により、労使係争が覚束なくなるという危険性である。
歴史的な理由からだろうが、大方の中国企業で労働組合は長期的に「形骸化」している。労働組合の組合長は往々にして企業の管理層を兼任しており、雇用側の利益を代表する存在であり、労働者の立場にはない。事実、地方企業の労働組合代表者の多くは政府の幹部である。労働者の利益に関わる重大事件が発生したときに労働組合が機能しないことは、悲しむべき通例となっている。絶え間なく発生する悲惨な鉱山事故、途切れることのない富士康の飛び降り自殺に関しても、労働組合が表舞台に出て労働者の権益を守るような場面は見られず、せいぜい事後になって当事者を慰問するような形式的な行いが見える程度である。労働組合が形骸化している現状では、仲裁役であり秩序を守るはずの地方政府が第一線に駆り出され、争議の現場に直接参加することが多い。そしてGDPや政治的業績のノルマに追われる地方政府は往々にして、雇用側に立ち雇用利益を守る努力をする。こうなれば労働者側の怒りを買い、危険極まりない社会的衝突が巻き起こることになりかねない。
建設的な視点から見ると、「ホンダストライキ」はこの激動の時代に風穴を開けたと言える。中国の労使闘争は新たな起点に立っている。この歴史的転換点において、本当の意味での労働組合は姿をくらまし続けるようであってはならない。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年5月31日