林国本
知人に、「翻訳家になるにはどうすればよいか」という話を若者たちにしてもらえないかと請われ、一応いろいろな分野の仕事を趣味を兼ねて続けてきた人間の1人として、今の若者たちがどういうことを考えているのかを知る機会にもなるので「講義」という題を変えてもらって、「対話」ということにしてもらい、自分でこれまでこなしてきた仕事や、悩みながら乗り越えてきたことなどの話しをした。
私見ではあるが、私はたえず発展をとげる中国のことなので、「これが翻訳家像だ」というものは存在しない、と思っている。つまり「翻訳家像」というものは、たえずマーケットのニーズによって変容していくものなのだ。
私はさいわい、日本語を知っている人がかなり少ない時代に大きな機構に勤務していたので、自分で仕事を探す苦労はしたことがない。しかし、与えられた仕事のほとんどは、当時まだ誰もしたことのないものだったので、開拓者、パイオニアとしての苦労はあった。例えば、ある日、当時日本でも著名な歌人が中国の杜甫研究の大家の話を聞きたい、というので、私が適役ではないかと思われて、通訳を務めたが、私は杜甫の詩は学校のテキストで習っただけで、せいぜい、五首か六首しか知らなかったが、話しは杜甫の全生涯の作品について、ということだったので、「ドロなわ」どころの話ではなかった。この体験を通じて、私は自分の不勉強を痛感し、その後はその面での勉強を続けることになった。