林国本
中国では「中秋節」は、一家団らんの節句として今でも重視されているが、日本では「中秋の名月」を観賞する月見の日といわれているらしい。たまたま子供の同級生や友人の家族たちが車で黄山市へ行くことになったので、私たち老夫婦も同行することにした。
中国の名山ともいわれる黄山には登ったことがあるので、今回は麓(ふもと)一帯のいわゆる徽州文化についてにわか勉強をしてみようかと思って出かけた。日本に「近江商人」というものが存在したように、中国歴史の中で「徽州商人」、「晋商(山西商人)、「浙商(浙江商人)」というものが存在したことがよく知られている。その後、戦乱や海洋文明、西側列強の侵略によって、徽商はだんだんと衰退し、その存在さえ忘れ去られるに至ったが、安徽省の人たちの間には、自分たちの先祖にもかつてはこういう人たちが存在していたのだというプライドを持っている人がいることも私は知っている。ただ悲しいかな、北京などでは、一部分の人の間では安徽省という中国中部の省は、大都市に「お手伝いさん」を送り出す省としてしか知られていなかった。しかし、私は心の中でいつも安徽省の人の体内には「徽商」のDNAが残っているのではないか、と考えつづけていた。
今回、宿泊したリゾート地は、中、小都市、いや、正確に言えば小都市のものとしては、北京のそれとそれほど差もなく、リゾート地の若いトップたちとの雑談の中でも、何の落差も感じられなかった。つまり、改革、開放30年に、意識の面でもこの人たちは時代の流れについて行っていることを感じた。