では、その後のソニーはどうして迷路に入り込んだのだろうか。主要な原因は「国家振興の産業経済学に執着しすぎた」ことにある。話は1950年代のアメリカの著名な品質管理に関する研究者、ウィリアム・エドワーズ・デミングが訪日後に提起した理論にまでさかのぼることができる。彼の言葉を借りれば、もし日本企業が海外の企業よりも早く、安く、良い商品を作ることができれば、日本製品は世界を制覇できるという理論である。
デミングのこの理論は、日本の起業家の心に深く刻まれた。そして生産に対する過度な執着が、日本企業の研究開発や技術革新の能力を失わせていった。ソニーも同様な病状に陥り、「製造業」の犠牲者となった。
盛田昭夫の時代が終わり、ソニーの核心となる経営層はアメリカのMBAが作り出したビジネスマンたちに取って代わられた。彼らは数字を第一に考え、製品開発や市場を二の次にした経営戦略をした。それがソニーを迷走させることになった。生産能力を重視し、ソニーが持っていた技術革新というお家芸が途絶えることになった。