実を言えば、北京市は発展パターンの転換という点では全国のトップを走っていると言っても過言ではないが、それでもこのようなスモッグに見舞われるのだから、全国の他の都市ではなおさらのことだろう。北京は1908年のオリンピック開催のため、首都鉄鋼、大セメント工場その他をどんどん他の地方に移転させ、クリエイティブ産業、エレクトロニクス産業、第三次産業に力を入れてきた。それでも、今度はクルマがどんどん増えて、渋滞がひどくなり、一部の人が「首都高速」を「首都低速」と称していたかつての東京の様相を呈するような日もあった。そこでさっそく世界各国の交通事情を調査し、公共交通機関の建設に力を入れることになった。今では40数パーセントの人たちが公共交通機関を利用するようになっており、やがては50パーセントにもっていくらしいが、それでもやはり交通問題が完全に解決されるわけではない。