ネット産業に強い中国の製造業
日本の製造業はなぜ現場で、団結・連携による強みを形成できたのだろうか?これは日本産業の「集団主義」というDNAによるものと分析されている。
藤本氏は、「戦後の国内環境が大きな原因だ。日本経済が急速に回復し、現場の労働者の不足が深刻だった。1960年代の日本の失業率は0%だった」と話した。
しかし当時の日本は中国と異なり、多くの人口が農村部から都市部に流入することはなかった。企業は上述した環境により従業員一人ひとりを重視し、彼らを多能工とし、団結を求めた。これは選手がさまざまな役割の間を自由に移動できるサッカーと同じだ。
藤本氏は、中国の製造業を「分業型」の選手と考えている。これは内陸部の農村の人口が、沿岸部の都市に流れ込んでいることが原因だ。企業は長時間をかけて人材を育成する必要はなく、すぐに同じ持ち場の仕事を身につけさせるだけでよい、これは選手ごとの役割がはっきりしている野球と同じだ。