国内では「996」(午前9時から午後9時まで働き、毎週6日勤務)に関する議論が続いている。996イコール「やりがい」なのだろうか。ある発展段階において、996は不可避なのだろうか。各国に駐在している環球時報の記者は、本件について調査を行った。
勤務時間について、フランス人は「大真面目」であることで有名だ。記者がフランスの労働組合に参加した経験によると、フランス人は労働者の権利の重要な基礎を労働時間としている。欧米の労働者が19・20世紀の一連の戦いにより手にした8時間制度は犯し難く、「理想」や「やりがい」とは関係がない。
フランス民主労働総同盟の関係者は記者に、「雇用主の聞こえの良い言葉には要注意だ。彼らの目的は社員の残された価値を搾り取ることだ。社員ががんばるほど雇用主の利益が増える。どんな人であっても労働は収益と引き換えでなければならない。サービス残業はフランスでは絶対に許されない」と話した。
996というと米シリコンバレーを思い出す人が多いだろう。あるシリコンバレーで勤務する知り合いは記者に対して、残業はよくあることだが、「自発的」だと話した。残業はシリコンバレーの多くの人にとって日常的であり、特にスタートアップ企業の場合はなおさらそうだ。しかしこれはシリコンバレーの全貌ではない。高賃金のほか、毎日午後5時に定時退社する人が多く、残業を行わない大企業も珍しくない。しかもシリコンバレーで重視されるのは結果であり、労働時間の長さではない。労働と生活のバランスは個人の目標であり、多くの企業も提唱していることだ。
米国では世代によって残業の印象が変わる。フォーブス誌によると、1945−60年生まれの米国人は苦しい時代を生きたため、安定的な雇用機会を重視する。労働と生活のバランスは優先されない。しかしこの世代の子供はリモートワーク、産休の延長、父親産休、十分な有給休暇などを重視する。
996に関する話題が同じく儒教文化圏の日本に伝わると、週刊ダイヤモンドは「中国テク業界の過酷な996勤務、異例の抗議拡大」と題した記事を掲載し、これは中国人労働者の権利意識の目覚めだと伝えた。しかし日本メディアの論評をまとめると、興味深い現象に気付かされる。日本メディアは労働者が報酬を得られるかに重点を置き、996制度そのものには触れていない。かつて残業に残業を重ねた日本は、中国企業を批判することができない。
記者は以前、日本の上場企業の経営陣20数人を取材したことがあるが、高齢者は仕事を人生の楽しみとし、996以上の激務に耐え、従業員にもならわせようとしていた。働き盛りの取材対象はIT業界や金融業界の人が多く、残業に反感を持ち、仕事と生活のバランスを主張していた。従業員に残業を求めることもない。これは中国のIT企業の働き盛りの経営陣とは対照的だ。あるIT企業の取締役は記者に「人材不足が深刻で、残業させなくても転職されることを恐れるほどだ。なんとか彼らを引き留めようと四苦八苦しており、残業させるなどもってのほかだ」と述べた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2019年4月17日